江南の橘、江北の枳となる(浅野)
江南(こうなん)の橘(たちばな)、江北(こうほく)の枳(からたち)となる
と読みます。
「韓詩外伝」「説苑」「晏子春秋」など諸書に見える中国のことわざでして、
意味はのちほど。
世の中には人の性質を表す言葉として
「性善説」by孟子と「性悪説」by荀子があります。
この辺は高校の古典や倫理で学ぶ分野ではありますが、
言葉だけでもなんとなく言わんとすることは分かります。
もちろん答えなんてないので、どちらでもいいと思います。
むしろ、「勝手に決めんなよ(`^´)」とさえ
思ってしまう超傲慢な自分がいます。
とはいえ、傲慢と言えど、
自分のことを勝手に決められるのは嫌じゃないですか?
しかも生まれた時から、生まれる前から決められているのは納得できません。
誤解の無いようにいっておくと、
なんでもかんでも噛みついてやろうと思っているのではありません。
上の二つの説は、人間の善き性質は努力しないと身に付かない
と言う点で合致しているので、そこは大いに納得です。
で、僕が肚落ち(納得)している言葉が上の
江南の橘、江北の枳となる
なんです。(高2で習う高校が多い)
意味は 場所や状況によって、同じ人間でも性質が変化することのたとえ
江南、江北は場所のこと
橘は有用なもの、枳は無用なものの例えです。
例えば、都会や田舎、小中高大、所属している団体、部活、塾などなど
人間は社会的な生き物なので必ず何かしらの共同体(コミュニティ)に属します。
そして、その共同体の環境の影響を多大に受けると思います。
都会の人は歩くのが速いとか、
関西に住んだら関西弁がうつったとか、
野球部に入ってた人は雑な挨拶するとか(ティモンディの高岸)
家では勉強出来ないけど、塾なら勉強するとか。
何が言いたいかと言うと「性善説」や「性悪説」、
あるいは「予定説」みたいなものは
自分でどうにもできませんが、
自分の置かれている環境(コミュニティ)
は覚悟と努力と正しい知識があれば自分で選ぶことができます。
次の学年から心機一転と考えている人は、
まずは今自分が置かれている環境を考えてみるといいかもしれませんね。
浅野宏明