学校の柔軟性

 福岡市東区の私立博多女子中学校で2月、公立高校の

入学願書を学校側が出し忘れて生徒3人が志望校を受験

できなかったというニュースがありました。これは、

明らかに学校側の瑕疵でありますが、実際にその後の

対応としては、この生徒は受験は出来ずに、他の学校を

受験するということになり、学校側は謝罪の意味の賠償

をしたそうです。もちろん、これは本人も保護者も納得

出来るものではありません。しかし、学校という世界で

こういった対応が起きるのは特別ではありません。

 

 公平性という立場もあり、非常に例外を認めにくいのが

学校であります。コロナ禍において、東大でもこの例外を

めぐって問題がおきました。コロナに罹患した生徒が、

定期テストを受験できず、それによって留年(進路)が

著しく本人の意向に沿わないものとなりました。学校側は、

そのコロナ罹患による追試の制度も認めず、しかも罹患

中のテスト受験も認めませんでした。実際に裁判となり

ましたが、学校側の言い分が認められた事例です。

 

 何を以て、公平というかは時に非常に難しい問題と

なります。ただ不測の事態を認めすぎても混乱を招きます。

ただし、学校という場は、それを認めなさすぎるという

気もした今回の出来事でした。今回、初めてWeb出願と

なった岐阜県の公立高校入試で、同様な出来事が起きて

いないことを祈っております。