結果はサイコロの目のようなもの(のぶや)
こんにちは、ギャンブルはしない、お酒も飲まない、タバコも吸わないのぶやです。
共通テストからちょうど1週間が経ちました。
各々、結果を受け止めて少し落ち着いたので、出てしまった結果(共通テストに限らず、すべての結果)に対して私がどう考え、どう向き合っているかを書こうと思います。
結論「結果はサイコロの目のようなもの」です。つまり、いいか悪いかは運次第。
ただし、運次第というのは、決して努力を否定しているわけではありません。
私が言いたいのは、「出てしまった結果ばかりにとらわれていても仕方がない」という事です。
サイコロを振って5の目が出たからと言って、そのことに一喜一憂しても何一つ変わりません。
テストでいえば、出題範囲が得意な範囲だったとか、苦手だったとか、昨年より難しいとか簡単とか、志望大学の倍率が高いとか低いとか、隣の席の受験生がうるさいなんて事は自分ではどうしようもないものです。こればかりは本当の運。
けど、結果が運次第なら努力する意味はあるのか?
ここだけはぶれません。努力する意味は必ずあります。
努力とは、サイコロのアタリの面を増やす行為だと考えています。
みんな最初にアタリとハズレが半々のサイコロを渡されます。1日頑張ればアタリの目が1つ増え、1日サボればハズレの目が増える。
目は減らないので、どれだけアタリを増やしても、最初からあるハズレを引くことだってある。逆になんの努力をせずとも、アタリを引くことだってあります。しかし、そんな限りなく0に近い確率を頼ることほど、愚かなことはありません。
努力は、成功の確率をあげる唯一の方法なのです。
私はそう信じています。
そして、明日成の生徒がアタリの目を増やす正しい努力が出来るかをみるのが私たちの役割です。
私立入試はもう始まっているところもあります。
国公立前期までは残り1か月です。
出来る限りアタリの目を増やしていきましょう。
p.s.
ギャンブルも、たばこもお酒もしませんが、深夜にポテチを食べます。