小国寡民と中国古代の都市国家(林)

『老子』第80章
岐阜北高校2年生の国語で『老子』第80章が試験範囲となっています。
今日はこれに関することを書きましょう。
まずは原文と私製の現代語訳をのせます。

小国寡民。
使有什伯之器而不用。
使民重死而不遠徙。
雖有舟輿、無所乗之。
有甲兵、無所陳之。
使人復結縄而用之。
甘其食、美其服、安其居、楽其俗。
鄰国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往来。
国は小さくて民は少ない。
軍備はあっても使わせない。
民には命を大切にして遠くへ移住させない。
船や車はあっても乗ることはない。
よろいや武器は並べておくだけで用いない。
人々には縄を結んで契約を交わす昔の暮らしを取り戻させる。
(粗末な)食事をおいしいと思わせる。
(質素な)衣服を心地よいと思わせる。
(せまい)住居に安んじさせる。
(素朴な)習慣を楽しいと思わせる。
隣の国がすぐ見えるところにあり、鶏や犬の鳴き声が聞こえるほどでも、民は老いて死ぬまで、他国の人とたがいに行き来することもない。

『老子』の理想郷
ここには『老子』が理想とする国のかたちが示されています。
小さな国で人口が少なく、軍備はあっても用いない。
命を大切にして、船や車などの文明の利器は使わない。
昔ながらの簡素で素朴な暮らしに満足させ、すぐ近くの他国との往来もしない。
人為的な道徳や儀礼を否定し、無知無欲、ひいては無文化の暮らしこそが幸福である、と。

ただし、『老子』が描いたのは架空の理想郷ではありません。
それは歴史の事実に根ざした国のかたちでした。
すなわち、新石器時代後期に誕生し、殷周王朝を経て、春秋時代まで存続した都市国家です。

新石器時代後期の諸文化
近年の中国考古学の研究成果をもとに簡単に述べましょう。
紀元前2500年頃~紀元前2000年頃の新石器時代後期、中国各地にそれぞれ個性的な特徴を持つ新石器文化が栄えます。
代表例をあげると、
黄河中流域の中原龍山文化
黄河下流域の山東龍山文化
長江中流域の石家河文化
長江下流域の良渚文化
遼河流域の紅山文化
などです。

都市国家の構造
この頃、各文化圏の内部では、規模が異なる複数の集落が出現し、重層的な階層関係をもつネットワーク体を形成してゆきます。
わかりやすくモデル化して説明しましょう。

ネットワーク全体の大きさは20km四方ほどです。
ネットワークを構成する集落は大・中・小の3ランクに分けられます。

大規模な集落はネットワーク体の中心集落であり、周囲を城壁によって囲まれ、内部には大型建築が存在します。

ネットワーク内の各地域には、それぞれの拠点として中規模の集落があり、これも城壁で囲まれていますが、大型建築は存在しません。

大規模集落と中規模集落のまわりには、城壁をもたない小規模の集落が多数、分布しています。

これら大・中・小の集落と集落の間には山地、森林、河川、沼沢地、原野が広がっています。
これを山川藪沢(さんせんそうたく)と総称します。

中国では、紀元前2000年頃までは新石器時代であり、当時の生産工具は石器と木器・骨角器です。
その後、青銅器時代に入ります。
しかし青銅器は祭祀に用いる祭器(さいき)と兵器や装飾具として利用され、生産工具は依然として石器・木器・骨角器でした。

これらの道具を使って山川藪沢を開発して農耕地に転換することは困難でした。
集落と集落の間には山川藪沢が広がり、それを縫うように道路や河川が走り、各集落を連絡しています。
したがって、当時の国家は支配領域が面的に広がる領土国家ではありません。
集落(点)を道路や河川(線)で結んだ、点と線のネットワーク形態の都市国家でした。

諸子百家の歴史的背景
春秋時代後半から戦国時代にかけて、都市国家から領土国家への変化が起こります。
その原動力となったのが鉄製農具です。
農耕民は鉄製農具を用いて山川藪沢を開拓し、農耕地を広げてゆきます。

もうひとつの原動力が戦争です。
小さな都市国家が滅ぼされ、大きな都市国家は支配領域が面的に広がる領土国家へと変貌してゆきました。

春秋時代末期の孔子を端緒に、戦国時代にかけて諸子百家と呼ばれる思想家たちが華々しく活動します。
彼らは、戦争がくり返され、社会のかたちと人びとのくらしが劇的に変化する様子を目の当たりにして、いかにして平和を回復し、平穏な生活を実現するかという課題に取り組みます。

その際の問題の捉え方と解決へのアプローチ方法の違いが、儒家、道家、法家、墨家、兵家、農家、陰陽家、縦横家、雑家、小説家という思想系統の違いを生み出しました。

歴史から古典を照射する
話を『老子』の小国寡民に戻します。
本篇の著者は小さな都市国家が滅ぼされ、家を壊され、故郷を失って流浪し、塗炭の苦しみにあえぐ人びとの姿に心を痛めて、力の論理を振りかざす大国に対するプロテストとして「小国寡民」の理想を唱えたのでしょう。

中国古代史の実相から『老子』を見つめ直せば、小国寡民に込めたメッセージの意味をいっそう深く読み取ることができるでしょう。