因幡の白うさぎ(林)
先日、学生講師の方から因幡(いなば)の白うさぎにちなんだお菓子をいただきました。
その際、小川先生にうかがったお話では、若い人たちのなかには、因幡の白うさぎを知らない人も少なくないということでした。
因幡の白うさぎの話は2011年度から小学2年生の国語教科書に採録されています。
それならば若い人たちも学校で習っている可能性があります。
もしかしたら、小2のときのことなので覚えていないのかもしれません。
あるいは、教科書に載っていても授業では学ばなかったのかもしれません。
お菓子を美味しくいただいたお礼に、因幡の白うさぎの神話を紹介します。
なお、因幡とは現在の鳥取県東部を指します。
この話は『古事記』上巻と『因幡風土記(逸文)』に記載されています。
原文を引用すると長くなるので省略し、私製の現代語訳だけ記します。
『古事記』の物語
大国主神(おおくにぬしのかみ)の兄弟には、たくさんの神々がおられた。
しかしみな、身をひいて大国主神に国を譲った。
その理由は次のとおりだ。
兄弟の神たちはみな、因幡国の八上姫(やがみひめ)を娶ろうと思って、いっしょに因幡に行ったとき、大穴牟遅神(おおなむちのかみ=大国主神の別名)に旅行用の袋を背負わせ、従者として連れて行った。
気多(けた)の岬に着くと、丸裸のうさぎが伏せっている。
神々はうさぎに「海水を浴び、風に当たって、高い山の尾根で伏せなさい」と言った。
うさぎは神たちの教えのとおりに伏せった。
塩が乾くにつれて、身体じゅうの皮膚が風に吹かれて切り裂かれてゆく。
痛み苦しんで泣き伏せっていると、おしまいにやってきた大穴牟遅神がうさぎを見て尋ねた。
「お前はどうして泣いているのか」
うさぎは答える。
「私は隠岐の島にいて、この因幡に渡ろうとしたけれど、方法がありませんでした。
そこで海の和邇(わに)をだまして言いました。
『私とあなたと、どちらの一族が多いか競おう。
あなたは一族全員を連れてきて、この島から気多の岬まで、一列に並びなさい。
私はその上を踏んで、走りながら数えて渡ろう。
そうして私の一族とどちらが多いか調べよう』
私がこう言うと、わにたちはだまされて並んで伏せったので、私はその上を踏んで、数えて渡ってきて、さあ地面に降りようとしたとき、私はこう言ったのです。
『あなたは私にだまされたのだよ』
言い終わるやいなや、端にいたわにが、私をとらえて衣服をすべて剥ぎ取りました。
このために泣き悲しんでいると、先ほどの神様たちが
『海水を浴びて、風に当たって伏せなさい』
と教えて下さったのです。
そこで、教えのとおりにしたら、私の身体は傷だらけになりました」
大穴牟遅神(おおなむちのかみ)は、
「今すぐに河口に行き、淡水でお前の身体を洗って、河口の蒲(がま)の花粉を採ってきて、敷き散らし、その上で寝返して転がれば、お前の身体の皮膚は、必ず癒えるだろう」
とうさぎに教えなさった。
そこで教えのとおりにすると、うさぎの身体はもとのようになった。
これが稲羽(=因幡)のうさぎである。
いまでも兎神と呼んでいる。
そうして、うさぎが大穴牟遅神に申し上げた。
「あなたの兄弟の神様たちは、決して八上姫を手に入れることはないでしょう。
あなたは袋を背負って賤業に就いているけれども、あなたが手に入れなさるでしょう」
『因幡国風土記(逸文)』の物語
因幡の記を見ると、その国に高草(たかくさ)の郡がある。
その名前には二つの解釈がある。
一つは、野のなかに草の高いところがあるので、高草という。
その野を郡の名前とした。
もう一つは、竹草(たかくさ)の郡である。
この場所にかつて竹林(たかばやし)があった。
そのためにこのように竹草の郡といった。
その竹のことを説明すると、昔、この竹に年老いたうさぎが住んでいた。
あるとき、急に洪水が起きて、竹原は水没した。
波が洗って竹の根を掘ったので、すべて崩れてしまい、うさぎは竹の根に乗って流されているうちに、隠岐の島にたどり着いた。
洪水がおさまった後、もとの場所に帰ろうと思うけれど、渡ることができない。
そのとき水の中に、わにという魚がいた。
うさぎがわにに言う。
「あなたの一族はどれくらい多いか」
わにが言う。
「一族は多くて、海に満ちあふれている」
うさぎが言う。
「私の一族は多くて、山野に満ちている。
はじめにあなたの一族を数えよう。
この島から気多の岬というところまで、わにを集めなさい。
一つ一つのわにを数えて、一族の総数を知ろう」
わにはうさぎにだまされて、一族を集めて、背中を並べた。
そのとき、うさぎはわにたちの上を踏んで、数を数えながら、竹の崎(=気多の岬)まで渡った。
その後、うまくやり終えたと思って、
「私はあなたをだまして、ここに渡り着いた。
本当は一族の多さを調べるためではないのだ」
とあざ笑って言うと、
水際に沿っていたわにが、腹をたてて、うさぎを捕まえて、着物をはいだ。
それを大己貴神(おおなむちのかみ=大国主神)が気の毒に思い、
「蒲の花粉を敷き散らして、その上に寝て転がりなさい」
と教えなさった。
教えのとおりにすると、たくさんの毛がもとのように生えてきたという。
わにの背中を渡って数えたことを(原文では)「兎踏其上読来渡」としている。
『風土記』と『古事記』の異同
うさぎがわにをだまして海を渡り、最後に欺いたことをみずから告げて毛皮を剥ぎ取られるという話の筋は一致しています。
ただし、『風土記』はうさぎの視点から描かれていて、うさぎが隠岐の島から気多の岬に渡ろうとした理由も説明されています。
一方、『古事記』は大国主神を八十神と対比させて、その賢人(賢神)ぶりを称える物語となっています。
うさぎは脇役に回り、大国主神が八上姫と結婚する運命を告げる予言者の役割を担っています。
つまり『古事記』の話は大国主神の賢人物語(賢神物語)として整序されたことをうかがわせます。
和邇(わに)は、サメやフカの仲閒とも、爬虫類のワニともいわれます。
この考証は省略します。
『古事記』の性質
第二次世界大戦前と戦争中、『古事記』は「国民精神の涵養」を目的として、原典を改編したかたちで数多くの神話が教科書に採録されていました。
前述のとおり、「因幡の白うさぎ」は現在、小学2年生の国語教科書に載っています。
その内容は、神話的要素をなくし、原文にない言葉や教訓を付け足して、動物物語や教訓物語として書き改められています。
実は『古事記』は忘れられた古典でした。
それを再発見したのは本居宣長(1730~1801)の『古事記伝』です。
それ以来、『古事記』は種々の価値観や立場からのまなざしにとらえられ、読み解きと書き換えの対象となってきました。
そうなると、こうした後世のフィルターを取り払って、神話そのものを味読したいという願いが生まれてきます。
しかしながら、『古事記』自体が本来的に純粋無垢な神話集ではありません。
先ほど一瞥したように、『古事記』版「因幡の白うさぎ」は大国主神の賢人(賢神)物語として組み立てられています。
『古事記』の序文によれば、『古事記』は天武天皇(在位673~686)の意志により編纂が始まり、元明天皇(在位707~715)の712年に完成しました。
これは「日本」という国号(王朝名)と「天皇」という君主号が成立した時期です。
『古事記』は、古代国家の成立期において王権の正統性、すなわち「天皇」を君主とする「日本」王朝による政治支配の正統性を説明するために、各部族集団の祖先神物語や各地の伝説を統合して編纂された書物と考えられます。
つまり『古事記』それ自身が強い政治性を持っています。
それゆえ、後世の読み替えを排除しつつ、『古事記』の原像があると仮定して、それに迫ったとしても、そこに「日本人の心のふるさと」などという無邪気な神話を見つけることはできません。
うっかりすると現代の神話的言説に足をすくわれかねません。
古典の読み方
ならば、もう一歩進めて、『古事記』編纂時の政治性を剥ぎ取って、『古事記』の原材料である各種の神話・伝説を取り出すことができたとすれば、どうでしょう。
今度は原材料が作られた際の思惑が浮かび上がり、行く手を阻みます。
このように、古典を読むという営為は、たまねぎやらっきょうの皮を剝いでゆくように、全部剥ぎ取ったら何も残らなかったという作業に似ています。
それではどのように古典を読めばよいのでしょう。
中国古代史研究者であった恩師の言葉が思い出されます。
中国の古典はなかなか複雑に構成されていて、いろいろと考え抜いたあげくの果てに、そこに陥し穴があるらしいと感じながらも、結局自分なりに一つの決着をつけてゆかねばならない、甚だやっかいなしろものである。
だから古典を取り扱うと、実にその人の人柄が映し出されてくる。
確かにそうは思っているが、古典を直接文学的に理解しようとする議論に対してはあまり信用する気にならない。
たとえその結論がどうであろうとも、やはり繰り返しさまざまの条件を提出しながら、自分自身に納得しうるだけの筋道を通し、理解を深めて、はじめて古典は生きてくるものであろうと思っている。
売り物のための結論が問題なのではないはずである。
古典に限らず、勉学とは、そんなものでありたいと、私は願っている。
『古事記』に関して言えば、歴史学、神話学、文化人類学、国文学などの専門研究の知見を参考にしながら、原典を手に取って読み進めるのがよいでしょう。
ときには意表を突く見解に驚かされたりもしますが、それも一つの見方として拝聴し、自分なりによく考えて、なおかつ自分の読み方をも疑いながら、少しずつ読み解いてゆくところに楽しみがあります。
おしまいにひとこと
世上には、学問的な手続きを経ていない、あやしげな『古事記』関連の本がたくさんあります。
へんてこりんな本に引っかからないよう、お気をつけくださいね。

