古代中国の七夕伝説(林)

7月7日は七夕の節句でした。
去年は長良校のブログで『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『源氏物語』という平安中期の文学に描かれる七夕について記しました。
今年は古代中国の七夕伝説をとりあげます。

星の名前
日本で織り姫・彦星として知られる七夕伝説は、もともと古代中国で生まれました。
織り姫は織女(しょくじょ)、彦星は牽牛(けんぎゅう)と呼ばれます。
織女はこと座のベガに、牽牛はわし座のアルタイルに比定されます。

前漢時代の紀元前91年頃に成立した司馬遷の『史記』「天官書」(てんかんしょ)は次のように記します。

牽牛為犠牲。
牽牛は犠牲(いけにえ)の仕事を行う。

婺女、其北織女。
織女天女孫也。
婺女(ぶじょ)があり、その北は織女である。
織女は天帝の孫娘である。

また漢代の観測データと考えられる『石氏星経』(せきしせいけい)には、

織女三星、在天市東端。
天女、主瓜果絲帛収蔵珍宝及女変。
明大天下平和。
織女の三星は天市(天上の市場)の東端にある。
織女は天帝の娘であり、瓜などの果物や絹織物、珍宝の収蔵、そして女性に関わる変動をつかさどる。
この星が明るく大きく輝けば、世の中は平和である。

牽牛六星、主関梁。
上星主道路。
中主牛、木星、春夏木、秋冬火。
中央火星為政治。
日月五星行起於此。
牽牛の六星は、関所や橋をつかさどる。
上の星は道路をつかさどる。
中の星は牛をつかさどり、木星は、春夏には木を、秋冬には火を(つかさどる)。
中央の火星は政治をおこなう。
太陽、月、五星(水星・金星・火星・木星・土星)はこの星座を起点に運行する。

と記されています。

画像1 織女と牽牛の星座(後漢時代)
河南省南陽市臥龍区白灘から出土
出典 中国画像石全集6『河南漢画像石』
   河南美術出版社・山東美術出版社、2000年

この図では、織女は左下の4つの星に囲まれたなかに座っています。
織女の上には7つの星のなかに兔がいて、月を表しています。
右上の3つの星が牽牛です。
その下に牛を牽引する男性が描かれています。
中央にいるのは四神のひとつ、西方を守護する白虎です。

ふたつでひとつ
織女と牽牛のふたつの星座は一組であると考えられていたようです。
『詩経』小雅の大東篇を引用します。

維天有漢 監亦有光
跂彼織女 終日七襄
雖則七襄 不成報章
睆彼牽牛 不以服箱
天空に天の河がかかり
きらきらと光って見える
三つの星に支えられて織女星は
一日中、七襄(意味は未詳)する
日ごとに七襄するけれども
織物はできあがらない
光り輝く牽牛星も
車を引くことはしない

この大東篇の詩は西方の権力者の支配に苦しむ東方の人々が、
 織女星があっても、
 現実に織物ができあがるわけではない
 牽牛星があっても、
 その牛に車を引かせることはできない
という嘆きを詠ったものだとされます。
この詩ではまだ織女と牽牛の恋愛は描かれていません。
しかし両者を一組とする観念が紀元前3世紀末より前の先秦時代に成立していたことを教えてくれます。

恋の物語
織女と牽牛の恋愛は漢時代(紀元前3世紀末~紀元3世紀初)に生まれたようです。
『文選』(もんぜん)は南朝梁の蕭統(しょうとう)が編纂した詩文集です。
そのなかに漢時代の「古詩十九首」が収録されています。
その十は次のとおりです。

迢迢牽牛星 皎皎河漢女
繊繊擢素手 札札弄機杼
終日不成章 泣涕零如雨
河漢清且浅 相去復幾許
盈盈一水間 眽眽不得語
はるかかなたの牽牛星
白く輝く銀河の娘
ほっそりと白い手を振りあげて
サッサッと音を立てて杼(ひ)を操る
一日織り続けても模様はできず
涙が雨のように流れ落ちる
天の河は清らかで浅く
向こう岸までの距離も短い
それでも澄みきった一筋の流れに隔てられ
言葉も交わさずただ見つめあうばかり

この詩では織女星と牽牛星が擬人化されています。
ふたりは天の河に隔てられ、黙々と見つめあうだけです。

7月7日の逢瀬
後漢時代には、織女と牽牛が7月7日に逢うと考えられていました。
唐代初期の624年に成立した『芸文類聚』(げいもんるいじゅう)は中国式百科事典です。
その巻4に後漢時代の崔寔(さいしょく)が著した『四民月令』(しみんげつれい)が引用されています。

七月七日、曝経書。
設酒脯時果、散香於筵上、祈請於河鼓織女。
言此二星神当会。
守夜者咸懐私願。
七月七日には、経書(けいしょ)を虫干しする。
酒と干し肉と時節の果物とを用意し、
香りの良い粉をむしろの上にまき、
河鼓(かと)と織女とに祈願する。
この二つの星の神がこの日に逢うのだと人々は言っている。
夜、寝ないで起きている者たちは、それぞれ心の中に願いを持っている。

『四民月令』は「河鼓と織女とに祈願する」と記しています。
漢代に成立したと推定される中国最古の字書『爾雅』(じが)巻6「釈天」は、

何鼓謂之牽牛。
何鼓は牽牛という。

と説明します。
「何」と「河」は同音ですから、何鼓=河鼓=牽牛と考えてよいでしょう。

南朝時代の呉均(ごきん、469~520)が編著した『続斉諧記』(ぞくせいかいき)という志怪小説(神鬼などの不思議な話)はこう記します。

桂陽城武丁有仙道。
謂其弟曰「七月七日、織女当渡河。諸仙悉還宮」
弟問曰「織女何事渡河」
答曰「織女暫詣牽牛」
世人至今云「織女嫁牽牛也」
桂陽城の武丁は仙術を修得している。
武丁は弟に「七月七日に、織女は天の河を渡る。仙人たちは宮殿に帰る」と話した。
弟が「織女はどうして天の河を渡るのですか」と尋ねると、
武丁は「織女は少しの時間だけ牽牛に逢いに行くのだ」と答えた。
世の人々は今に至るまで「織女は牽牛に嫁ぐのである」と言っている。

(『芸文類聚』巻4所引)

後漢の『四民月令』や南朝の『続斉諧記』は、織女と牽牛が7月7日にめぐり逢うという伝説が人々に親しまれていたことを教えてくれます。

七夕は本来、旧暦の節句です。
今年は8月29日が旧暦7月7日にあたります。
星に祈りをささげるチャンスはこれからですね。

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