人の集まりのなかで、

 

 宝塚歌劇団の話題が、多く取りだたされております。

記者会見の内容に対して、ネット上では、かなりの批判的な

意見が散在しておりますね。ここで、その批判をするつもり

はもちろんありません。ただし、今の風潮と「いじめ」に

ついては思う所が多々あります。

 

 「いじめ」を肯定する気は全くないのですが、現在、

言われている「相手がいじめだと思ったら、いじめ」と

いう感覚にはかなり無理を感じております。これは、

全ての人がいじめ加害者の対象となり得ます。または、

全ての人が、人に対する発言を委縮する形となります。

言葉は生き物なので、全く同じ単語でも、TPOで、

受け取り方は異なります。さらに言葉を受け取った後、

その瞬間ではなく、のちに頭のなかで反芻して、気に

なったり悲しくなったり、怒りがこみ上げてきたり

することは多々あることです。つい最近も、ネット上で、

有名芸人が、「脳みそないんじゃない」と発言して

おりましたが、まさに状況によっては、ハラスメントと

成り得る言葉です。また、いわゆる発達障害やコミュ

ニケーションが苦手な方が、何気なく発する言葉が、

意図せず相手に刺さることもよくあります。これら

すべては、相手がいじめだと思ったら全部いじめで

あるという現代の認識において、非常に難しい判断

となります。

 

 さらに、学校や職場などの集団のなかで、全ての

人が、全ての人と上手く、接するのは、ほぼ不可能

であると脳科学者の方もおっしゃいます。そのなかで、

言葉じりを切り取られて活字になれば、それはいじめ

です。

 

 人が人と関わるなかで、嫌な想いをすることも、

させることも必ずあります。それを端的にいじめと

いう言葉だけでのくくり方が無理があるような気が

致しております。

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