「合格を祈る」考 その1(林)
試験の後に祈る
中3生は公立高校の第一次選抜が行われました。
このあとは19日に第二次選抜が実施されます。
高3生は国公立大学の前期試験が終わり、8日からの中期日程と12日以降の後期日程が続きます。
私立大学では3月入試が行われています。
入学試験を受けた後、どうか合格していますようにと祈る人は少なくないでしょう。
一方で、試験はもう終わっているのだから、今から祈っても結果は変えられないと考える人もいるかもしれません。
「後の祭り」を祈る
これを哲学の問題として考察したのが大森荘蔵氏(1921~1997)です。
大森氏は東京大学教養学部教授、同大学名誉教授、放送大学教授を歴任した著名な哲学者で、その門下からは、野家啓一氏、野矢茂樹氏、中島義道氏など、多くの哲学者が輩出しています。
大森氏は「『後の祭り』を祈る」という論文において、イギリスの哲学者マイケル・ダメット氏(1925~2011)が「Bringing About the Past」で論じた「酋長の祈り」を紹介して、上記の問題を考えています。
大森氏の論文は、初めに『現代思想』1985年8月号に掲載され、後に『時は流れず』(青土社、1996年)に収められました。

酋長の祈り
「酋長の祈り」を簡単に紹介します。
ある部族では、若者が成人の儀式の一環として、ライオン狩りに送り出されます。
ライオン狩りには見届け人も同行します。
2日かけて狩り場に行き、3日目と4日目にライオン狩りをし、2日かけて帰ってきます。
この6日間、酋長は狩りの成功を祈って踊り続けます。
問題は、狩りが終わった後の5日目と6日目にも踊り続けることにあります。
「酋長の踊り」は迷信に惑わされた愚昧な行為なのでしょうか。
これを入試に置き換えてみましょう。
入試の前に合格を祈る。
入試の当日、合格を祈る。
入試が終わった後にも合格を祈る。
どうでしょうか。
酋長の踊りと私たちの祈りとは同じ構造をしています。
何を祈るのか
大森氏は次のように言います。
すでに決定済みの過去をいまさら変更しようとは誰も思っていはしない。
明らかにあの酋長にもわれわれ東京に住む人間にも、過去はまだ決定していない、そして望ましい過去であることを祈る余地、不幸な過去であることを恐れる余地がまだある、こうした思いが心の底にあるのだと私は言いたい。
(大森氏前掲書pp.70~71)
遡及的な祈り
「過去はまだ決定していない」
「望ましい過去であることを祈る余地」
「不幸な過去であることを恐れる余地がまだある」
とは、どういうことでしょう。
「酋長の踊り」などの「遡及的な祈り」は、「すでに決定済みの過去」を祈りの力によって「変更する」という話ではありません。
すなわち、
若者が勇敢ではなかった
試験でよい点数が取れなかった
という、「すでに確定している過去」を、
若者が勇敢だった
試験で合格点が取れた
という過去へと、新たに書き換えるものではありません。
「遡及的な祈り」は、「確定している過去」を「変更する」のではなく、祈りによって、「望ましい過去」を初めて「作りあげる」「完成する」という行為です。
過去はその出来事があった時点で完成しているわけではなく、未完成の「余地」があり、そこに働きかけて、望ましい過去として完成させようというのが「遡及的な祈り」です。
対立点
大森氏が論じているのは、
過去は変えられない↔過去は変えられる
という対立ではありません。
この対立は、どちらも「過去がすでに確定している」ことを前提として共有し、その変更可能性をめぐって意見が分かれています。
大森氏が問題にしているのは、
過去は決定済みである↔過去は確定していない
という対立です。
これは「過去」とは何かという定義もしくは信念の問題です。
次回に考察することにして、まずは受験生の合格を祈ります。

