「信を問う」とは何を問うのか? その3(林)
「信なくんば立たず」
「信を問う」と同じくらいの頻度で政治家に引用される言葉に、「信なくんば立たず」があります。
高市早苗首相も衆議院の解散を表明する記者会見でこれを使っています。
(首相官邸ホームページ2026年1月19日)
この言葉は『論語』顔淵篇に由来します。
子貢問政。
子曰、足食足兵、使民信之矣。
子貢曰、必不得已而去、於斯三者、何先。
曰、去兵。
曰、必不得已而去、於斯二者、何先。
曰、去食、自古皆有死、民無信不立。
子貢が政治のやり方について尋ねた。
先生が言われた、
食物を十分にし、軍備を十分にし、民に信頼してもらうことだ。
子貢が尋ねた、
もしも、やむを得ない理由で、この三者から、どれか一つを省くとすれば、何を先にしましょうか。
先生が言われた、
軍備を省こう。
子貢が尋ねた、
もしも、やむを得ない理由で、この二者から、どれか一つを省くとすれば、何を先にしましょうか。
先生が言われた、
食物を省こう。
昔から、死はだれもが免れることができない。
民に「信」がなければ、政治は成り立たない。
これまでの考察をまとめると、「信」は
発言したことを実行する
約束を守る
という意味を基本にしています。
それでは『論語』顔淵篇の
民無信不立。
民に「信」がなければ、政治は成り立たない。
の「信」とは、誰に「信」を求めているのでしょうか。
すなわち、「発言したことを実行する」「約束を守る」という「信」があるか否かは、
民衆に対して問われているのでしょうか。
それとも、為政者に対して問われているのでしょうか。
これに答える手がかりは、子貢と孔子の問答の冒頭にあります。
子貢は政治のやり方を尋ね、孔子は
足食足兵、使民信之矣
食物を十分にし、軍備を十分にし、民に信頼してもらうことだ。
と答えます。
これに依拠すれば、為政者に対して「信」の有無が問われていることは明白です。
したがって「民無信不立」は、為政者が
発言したことを実行している
約束を守っている
と民衆から信頼されていなければ政治は成り立たないという意味です。
言うまでもなく、古代中国は主権在民の民主主義体制ではありません。
それでも為政者に「信」があると民衆が判断することが政治の成立根拠とされていました。
「信を問う」とは
以上の考察を踏まえて、はじめの問いに戻りましょう。
「信」の基本義に立ち返って考えると、「信を問う」とは、主権者である人びと(民衆、人民)が為政者に対して
発言したことを実行しているか
約束を守っているか
と問うことです。
主権在民の現代日本においては、「国民に信を問う」とか「国民の信を問う」という表現も散見します。
これも主権者である人びと(民衆、人民)に対して、
どの政治家と政党を信じるかを問う
という意味ではなく、
主権者である人びと(民衆、人民)に対して、
どの政治家と政党に「信」があると考えているかを問う
という意味に理解すべきでしょう。
「信」を問い続ける
民主主義は、それ自体は価値を持たない政治システムです。
すなわち、「民主主義だから良い」ということはありません。
「民主主義だから悪い」ということもありません。
良き民主主義もあれば悪しき民主主義もあることは、民主主義の歴史と現在が教えてくれています。
選挙によって新政権に「白紙委任」するのではなく、主権者である人びと(民衆、人民)が、国会をはじめとするさまざまな機会を通じて、為政者に対して「信」を問い続けること。
この不断の問いが良き民主主義を実現するための原動力となるのではないでしょうか。

