干支の起源(林)
新しい年が始まりました。
西暦では2025年ですが、干支(えと・かんし)で数えると乙巳の年です。
「乙巳」は音読みすると「いつし」、訓読みならば「きのとみ」となります。
これは十干と十二支を組み合わせて作られていて、干支と略称します。
干は幹、支は枝のことです。
十干は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸。
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥ですね。
十干も十二支もその起源は中国の殷王朝(紀元前16世紀頃~紀元前11世紀頃)までさかのぼることができます。
十干は10個の太陽を表し、殷の王族が自分たちを10個の太陽の子孫だと考えていたことに由来します。
卜辞(甲骨文字で記された占いの記録)によって、殷王朝の歴代の王号を確認すると、
例えば殷の前期にあたる第1代から第8代の王号は、
大乙、大丁、大甲、卜丙、大庚、小甲、大戊、呂己
となっていて、王号に十干を用いていることがわかります。
十二支は木星の運行に由来します。
地球を中心に考えると、木星は全天を12年(より正確には11.86年)かけて一周しているように見えます。
そこで天空を赤道に沿って12等分(12次)すると、木星は1年にほぼ1次ずつ進むことになるので、木星の位置によって、任意の年が12次(支)のうちのどの年にあたるかがわかります。
これを歳星紀年法といいます。
歳星とは木星のことです。
中国の高名な文学者・歴史学者で、政治家でもある郭沫若(1892~1978)は十二支の起源をバビロニアに求めています(「釈支干」『甲骨文字研究』上海・大東書局、1931年)。
殷王朝はこの十干と十二支を組み合わせて60干支とし、60日で一周するカレンダーを作りました。
十二支に動物をあてるのは戦国時代(紀元前5世紀~紀元前3世紀)に始まり、後漢時代の王充(27年~97年)が著した『論衡』物勢編には現在の十二支の動物たちが登場します。
さて、十干をそれぞれ日本語で訓読みすると、
甲(きのえ) 乙(きのと)
丙(ひのえ) 丁(ひのと)
戊(つちのえ) 己(つちのと)
庚(かのえ) 辛(かのと)
壬(みずのえ) 癸(みずのと)
となります。
これは木・火・土・金・水をそれぞれ兄と弟にわけて付けた呼び名です。
例えば、甲は木の兄なので「きのえ」、乙は木の弟なので「きのと」となります。
この木・火・土・金・水も古代中国の五行思想に由来します。
五行思想は戦国時代に体系化されました。
これは天地万物を木・火・土・金・水の5つのカテゴリーに分類・配当し、5元素の相互作用と消長から万物の生成と変化を説明します。
五行思想はさらに二つに大別されます。
一つは五行相生説(ごぎょうそうせいせつ)です。
これは五行が互いを生み合う関係です。
木→火→土→金→水→木…
木から火が生まれ
火から土が生まれ
土から金が生まれ
金から水が生まれ
水から木が生まれ
と説明します。
木がこすれて火がつく
火が消えると灰=土が残る
土の中から金属が掘り出される
金属を加熱して溶かすと液体=水になる
水を与えると木が生えて成長し
というイメージです。
もう一つは五行相勝説(ごぎょうそうしょうせつ)です。
先行するものを打ち負かして新しいものが生み出されるという関係です。
木→金→火→水→土→木…
金は木に勝ち
火は金に勝ち
水は火に勝ち
土は水に勝ち
木は土に勝ち
と説明します。
金属の斧は木を断ち切り
火は金属を溶かし
水は火を消し
土の堤防は水の流れを遮り
木の農具は土を掘り返し
というイメージです。
上述のとおり、五行説では万物を5元素に配当します。
具体例を紹介しましょう。
色彩では、青=木、赤=火、黄=土、白=金、黒=水
季節では、春=木、夏=火、土用=土、秋=金、冬=水
方角では、東=木、南=火、中央=土、西=金、北=水
といった具合です。
青春という言葉や、文学者の北原白秋の名は五行思想に基づくものだとわかります。
風水に興味のある人は四神という言葉を聞いたことがあるでしょう。
東の青竜、南の朱雀、西の白虎、北の玄武です。
これも青、朱=赤、白、玄=黒という五行思想から生まれました。
奈良県高市郡明日香村にあるキトラ古墳(7世紀末~8世紀初頭に築造)では墓室内の壁面に四神と十二支(獣頭人身)が極彩色で描かれています。
https://www.nabunken.go.jp/shijin/about/kitora-atlas/mural.html
阪神甲子園球場は完成した1924年が甲子(きのえね)の年であったために命名されたことは、野球ファンならよくご存じでしょう。
60歳に還暦のお祝いをするのも干支が60年で一周することに基づいています。
古代中国に生まれた世界観と時間の観念が古代日本に伝わり、21世紀の今日まで受け継がれています。
1380年前の乙巳の年(西暦645年)には、中大兄皇子と中臣鎌足が飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を殺害し、蘇我蝦夷を自害せしめる乙巳の変が起こり、大化の改新といわれる国制改革が始まりました。
今年はどんな一年になるでしょうか。