問い続ける……(林)

明日成で授業を担当するようになってから、1ヶ月あまりが経過しました。
ドイツの偉大な社会学者マックス=ヴェーバー(1864~1920)になぞらえると、「職業としての教育」について改めて考え直す日々でした。
 (マックス=ヴェーバーは『職業としての学問』と『職業としての政治』という2冊の本を書いています。)

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教育は未来に働きかける職業、未来への種まきを手伝う仕事であると私は考えています。
未来は若い人々、子どもたちのものです。
彼らがそれぞれの人生をよりよく創造していくことを通して、よりよい未来が創り出され、彼らがそれぞれの人生を幸福に生きることを通して、世界そのものが幸福になっていくと思います。

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子どもたちと世界のよりよい未来のために今の私に何ができるのだろうかと、考え続けています。
日本国内を見ても、世界に目を向けても、アポリアと形容するしかないような難問が山積しています。

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人類の歴史を振り返ってみれば、いつの時代でも、どの地域においても、さまざまな問題が存在し、人々を苦しめてきました。
しかし、それらの苦難を解決するための営為こそ、人類社会を発展させる原動力となってきたのです。
たとえ今日直面する諸問題が未曾有の広がりと絶望に近い深みを持つとしても、それでも諦めずに希望を持ち続けていたいと思います。

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明日成で学んでいる子どもたち一人ひとりが、日々の授業のなかで学ぶことの楽しさを実感し、達成感と充実感を味わいながら帰宅の途につくことができているだろうか。
日々の学びとその積み重ねが、彼らのよりよい未来の礎(いしずえ)になっているだろうか。

それが世界の良きあり方へと結びついているだろうか。

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それぞれ一度きりの授業を行いつつ、私は自らに問いかけます。
もちろん、この問いへの答えは、論理的に言って、いま出せるものではありません。
しかし、問い続けることが大切だと考えています。

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チェコスロバキア出身でフランスに亡命し、『存在の耐えられない軽さ』という小説によって世界的に知られる作家のミラン・クンデラ(1929~2023)は、小説を書くこと、文学の役割について次のように述べています。

  小説はなにごとをも確言(アツサート)しない。
  小説はさまざまな問題を探しもとめ、提示するものです。
  人びとの愚かしさは、あらゆるものについて答を持っていることから来る。
  作家は、その読者に世界を問いとして理解することを教えるのです。
   (大江健三郎『新しい文学のために』岩波新書、1988年より引用)

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世界を問いとして理解し、問い続けることが大切ではないでしょうか。
みなさんはどう思われますか。