プラザ合意
1980年代前半のアメリカでは厳しい金融引き締めが行われ金利が
上昇し、その結果ドル高が進み、輸入が輸出を大幅に上回っていま
した。自国通貨が強いので、海外の品物は有利に購入できますが、
アメリカの製品は割高になるため、輸出が鈍る状況でした。
つまり、アメリカは貿易赤字となっていました。当時はそれに加え、
財政赤字も深刻でしたので、『双子の赤字』と言われ社会問題と
なっていたのです。
その解決策となったのが、『プラザ合意』です。つまり各国で為替に
介入してドルを安くしてアメリカの輸出を増やすのが目的でした。
当時約1ドル240円だったレートは、1年後には150円代となります。
1985年に行われたこのプラザ合意以降、日本の歴史においては、
ご存知の『バブル経済』がスタートすることになります。
円から考えれば、先程のアメリカとは逆に、海外の製品が入り易く
なります。海外製品が一気に日本に流れ込んできました。輸出は
当然鈍化しますが、日本企業は、この機会に海外進出を考えたのです。
そうです現地生産なら為替の影響を受けません。そこから日本企業の
海外拠点が激増することになりました。
という時代を今の若者は、昭和と呼びますね。当時の事を今も
結構覚えております。(まあ、年寄ですから・・・)現在、急速な
円安となっております。一概にこれが、良いとか悪いとかは、
分かりませんが、何かが急速に変わるきっかけかも知れませんね。
さて令和は後にどんな時代と語られるのでしょうか?