ぶつかる想い
2月24日からはや3ヶ月弱が経とうとしています。
そうです、その日はロシアがウクライナに侵攻した日
であります。誰も戦争は望みません。誰も死は受け入れ
難いものですが、今日現在まで、戦争の収束は見えません。
今日はどちらが正しいとかのお話ではなく、ぶつかる思い
というお話です。少し前にウクライナに千羽鶴を届けるの
は?という議論がありました。ウクライナの方に限らず、
想いを乗せて贈り物をした時、必ずしも相手の受ける感情
は喜び一辺倒ではないかも知れません。しかし、そこに
『善意』があることは間違いないです。だからこそ、
話はこじれます。
以前あったお話です。ある交差点で死亡事故が起きました。
即死な程の事故でした。遺族は無念や鎮魂を込めて、その
交差点に亡くなったお方の大好きだった食べ物やお花を
月命日の度に供えました。しかし、遺族はお供えした物が
次の日には、カラスにいたずらされ、同じその交差点に
まき散らされていることを知りません。掃除をするのは、
見知らぬ近所の方です。その1カ月後にはまた、お供えが
置かれます。
悪意でごみを捨てる輩は、問答無用に腹が立ちますが、
そのに悪意がないばかりか、善意や良かれと思う気持ち
が入った時には本当に難しい事になる場合がありますね。
そう感じた千羽鶴のニュースでした。