自習勉ノートの意義(浅野)

本日は正木校からお届けします、浅野です。

最近ようやっと生徒たちの名前と顔がほんのり分かってきました。

もっと頑張ります😅

先日ふと思うことがありまして、

中学校、もしくは小学校でも課されている自習勉強ノートについてです。

もちろん自習するためのノートで毎日1ページなり2ページなり、

長期休暇になるとノート1冊終わらせなければならない代物です。

塾の先生という立場を抜きにしても自習勉ノートはあったほうがいいとは思います。

絶対に子供たちは嫌がりますが…

僕が気になっているのはその中身についてです。

計算問題はOKだけど掛け算九九はダメ。

漢字の練習はOKだけど漢数字だけはダメ。

理科や社会で出てくるものを絵に描いてまとめるのはOKだけど似顔絵やアニメのキャラはダメ。

のように明確にこれは良くてこれはダメみたいな線引きが結構曖昧な気がします。

とはいえ僕自身に自主勉ノートはかくあるべきといった明確な基準があるわけではありませんが、

だからと言って教科書や問題集に書いてることを丸写しして行数稼いでやろうという本末転倒なこともいかがなものかと思います。

でも実際問題ほとんどの子が↑のマインドでやっているとは思います(自分もそうでした)

結局のところ目的意識が大事なんじゃないかなーと思います。

新しい学びがあったり、抜けているところを復習しようとか、

上の例でも絵を描くことが苦手な子が上達するために描くのと惰性で描くのは全然違うし、

教科書丸写しでも、行数を稼ぐのではなくて綺麗な字を心がけてそのお手本にしている、

ということなら全然OKだと思うのは僕だけじゃないはずです。

ただ一つ問題があるのは、その目的意識を見る側が可視化できないことだと思います。

我々も子供たちのノートを目にする機会が多くありますが、

ノートだけでは見えない部分を普段の会話や様子から察してあげるのが役割なのだという結論で今日は落ち着こうと思います🤔

正木校 浅野宏明