他人が背中を押すことはできない(川口)

人に背中を押してもらえることってありますよね。

これを塾や勉強の場面で考えてみたいと思います。

僕はテスト前日の生徒を送りだす時に、

「こんなに勉強したんだから、明日は大丈夫だ!」

なんて声をかけたりします。

あまり器用に嘘をつけるタイプでもないので、

心から思っていることしか言葉として出てきません。

それでも、

あまり頑張れていなかったなと思う生徒にも、

「明日は頑張れよ!」くらいは声をかけます。

もし、うまく嘘がつけて、

あまり頑張れていなかった生徒に、

「こんなに頑張ったんだから、明日は大丈夫だ!」と

声をかけることができても、

その生徒は背中を押してもらえたと思うのでしょうか?

 

 

大体の生徒は、「オレ、そんなに頑張ったか?」と

疑問に思うのではないでしょうか?

これは一番最悪のパターンです。

僕の言葉の信憑性が薄れます。

「先生なんて生徒を何でもかんでも励ましとけばいいんだよ」

という考え方もあると思いますが、

僕にはできません。

やってないものはやっていないし、

サボりはサボりだし、

誘惑に負けたらそれは負けです。

一旦、負けを認めて次にやり返せばいいと思うので、

そこではむやみやたらに励ましたりしません。

要するに「背中を押す」と言っても、

本人がそう感じていなければその言葉は届かないということです。

最後は自分の背中は自分で押すことしかできないのです。

 

 

僕たちは生徒を近くで見ているので、

「お前は本当によく頑張ったんだ」ということを

気づかせてあげることはできます。

 

 

それはあくまでも、

本人が頑張ったと

自分を認めることができている生徒に対してのみの効果だと思います。

この時に気を付けたいのは、

人との比較で「頑張った」というラインを引かないことです。

その子のこれまでの歴史と比較をして、

「一段、勉強量が上がったかどうか」や

「毎日の継続ができているか」など、

その子の「軸」や「基準」を引いてあげることが大事だと思います。

 

 

極論、

本人が「オレはこんなにやってきたんだ」と思えていれば

それでいいのだと思います。

それ以上何を望むのでしょうか?

じゃあ、1日15分の勉強で「頑張った」と思ってしまううちの息子は

それでいいの?と言われそうですが、

その子はおそらく分かっているのではないでしょうか?

それで心底頑張ったと思うことは難しいのではないでしょうか?

それでも思うなら今の所その子にそれ以上のことを望むのは厳しいのだと思います。

 

 

僕はあまり人からの応援とか励ましがなくても

なんとかなるタイプです。

普段は感情豊かに喜怒哀楽がありますが、

1人になると割と「淡々と、着実に」ものごとを

遂行していける自信があります。

いや、

でもそこに応援や励ましがあるとエネルギーや馬力が増しますね。

 

 

んーと、これはなんのブログでしょう??(笑)

 

 

強引にまとめてみましょう。

僕の理想は、

テスト前日に、

「ここまでよく耐えた!

 こんなに頑張ったんだから自分を信じて頑張れよ!」と、

より多くの生徒に本心で言えることですね。

ガンバロー!!

 

 

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