「一旦」は、結果が出る(川口)

やはり高校受験よりも、

大学受験の方が『運』の要素が大きいなと思います。

高校受験なんて非じゃないほどの、

莫大な量が試験の範囲になる訳です。

岐阜5校にいくような子たちは、

高校入試の範囲のほとんどをしっかりと

勉強して試験に臨んでいたと思います。

3年間の内容をほぼ網羅して入試に臨んだと思います。

しかし、大学入試はなかなかそういう訳にはいきません。

勉強時間が必要とされます。

多くの生徒はそのすべてを網羅することは結構難しい。

高校入試と同じ感覚で受験することができる生徒は、

それほど多くはないのではないかと思います。

もちろん受験をする本人たちは、

「大丈夫」と自分に言い聞かせている部分もあるので、

ほとんど同じ感覚で受験しているかもしれませんが、

僕が見る限り、

やはり「抜け」や「漏れ」は多くなっていると思います。

だからこそ『運』の要素が絡んできます。

例えば

努力して、努力して、80%の仕上がりまでいけても、

残りの20%から出題されることはあります。

勉強が追い付かず60%の仕上がりでも、

そこから出題されれば、

最初の仕上がり80%の子より点数が高かったりします。

もちろんこれも実力のうちと言えば、それまでですが、

こういう現象が起きる確率が、

高校入試より大学入試の方が高いのです。

だから、一概に、

受験でうまくいかなかった子に対して、

「努力不足」だとは思えません。

フォローという意味ではなくて、

現実本当にそうだと思っているからです。

これを防ぐには、

仕上がりを100%にするしかありません。

「仕上がり」という表現が極めて曖昧なのは自覚しています。

具体的な話は生徒にしていくとして、

こういうことが起きるのが大学受験であるということを

念頭においといてもらって、

高校1年生からの過ごし方を考えていくといいと思います。

今年も大学入試の前期日程の結果が出ました。

国公立大学に合格した生徒には、

本当に、心の底から「おめでとう」という気持ちで一杯です!

思う存分大学生活を満喫して欲しい。

惜しくもそこには手が届かなかった生徒には、

悔しい気持ちを持ちつつも、

また前を向いて歩いていって欲しいという気持ちです。

ここまでやってきたことに嘘はありません。

今ここで僕が何を書いたところで、

現実は変わりません。

悔しい気持ちを持ちつつでいいので、

次に向けてまた歩んで欲しい。

結果は一旦は出ます。

でも、『一旦』のことです。

僕は彼らを全力で認めています。