高みをめざして(林)
【ホモ・サピエンスの人間観】
現在、地球上に生息している人類は現生人類と呼ばれます。
その学名はホモ・サピエンス(Homo sapiens)です。
名付けたのはカール・フォン・リンネ(1707~1778)
スウェーデンの博物学者で、近代的な植物分類学の祖といわれる人です。
ホモ(Homo)は「人間」、サピエンス(sapiens)は「知恵のある」という意味のラテン語ですから、ホモ・サピエンスは「知恵のある人間」となります。
複雑な言語を操作して抽象的な推論ができることをもって、他の生物と区別するということでしょう。
ホモ・サピエンスという学名は、考えることを人間の本質とみなす人間観を反映しています。
【究極の主題】
人間が行うあらゆる思考は、人間が生きてゆくことから生まれてきます。
自分は何者であるか?
他者とどんな関係を作るか?
死ぬことへの恐怖
将来に対する希望と不安
日本と世界の現在と未来
などなど。
真剣に考えるべきあらゆる主題は、すべて人間が生きていて、そのなかでさまざまな疑問や困難に出会うことから生まれてきます。
その意味では、あらゆる主題はすべて人間の生という主題に包摂されるともいえます。
そして、どの主題について思考をめぐらせても、それはすべて人間の生とは何かという問いと結び付いています。
その観点に立てば、「人間の生」こそ究極の主題といえるでしょう。
【二つの領域】
「人間の生」が究極の主題であっても、そこに包含される個々の問題は、
「個としての生」と「社会の中の生」
という二つの領域にカテゴライズできます。
人は「自分」というものが気になって仕方がないときがあります。
自分はどうして今ここに生きているのか?
自分は他の人とどこが違っているのか?
という問いを発したことのある人は少なくないでしょう。
「死」が恐ろしくてたまらないときもあります。
「どうせ死ぬなら何をやっても無駄だ」という気持ちになることもあるかもしれません。
こうしたとき、「自分」や「死」が考えるべき主題として浮かび上がってきます。
これは「個としての生」の問題です。
一方で、人間は他者と関係を結びながら生きています。
他者との関係とは社会のことですから、人が生きるとは社会生活を営むことだと換言できます。
社会の中にはさまざまな〈しくみ・制度〉があり、その中で人は生活しています。
それゆえ、〈しくみ・制度〉のよし・あしが問題になります。
また、社会には常にさまざまなトラブルや問題が発生します。
したがって、
教育、国家、民主主義、市場経済
環境、民族、宗教、国家間の対立
というように、社会は人間が考えるべきさまざまな課題を生み出します。
その意味で、「社会の在り方」もまた究極の主題となりえます。
【二つの視座】
ところで、「人間の生」を考える際には、
超歴史的に見るか
歴史的に見るか
という視点の持ち方もあります。
具体例を挙げましょう。
〈若者・青春〉という主題を立てるとします。
これを、時代や社会の違いを超えてどんな人間でも抱え込む問題=普遍的な問題という形で見ることができます。
これは超歴史的視点=歴史を貫いて共通するものとして見る視座です。
また、現代という時代の中で〈若者・青春〉はどのような在り方をしているのかと問うこともできます。
これは歴史的視点=特定の時代と関連づけて見る視座です。
【四つの問い方】
そうすると、「人間の生」という究極の主題を考えていく方法は、「二つの領域」と「二つの視座」を組み合わせて、四つの問い方つまり四つの問題の立て方に整理することができます。
再び〈若者・青春〉を例に挙げましょう。
①〈若者・青春〉を「個的」+「超歴史的」に問う。
どんな時代、どんな社会の人間でも、若者であったときがあり、青春を過ごしている。
人間が生きていく中で、青春時代はどのような意味を持つのだろうか。
これは哲学の問いです。
②〈若者・青春〉を「個的」+「歴史的」に問う。
現代という時代の中で、いまの若者は各自の青春をどのように生きているのか。
どんなことに生き甲斐を感じ、どんなことに不安を抱いているのか。
これは文学の問いです。
③〈若者・青春〉を「社会的」+「歴史的」に問う。
社会の中における若者の立場・役割はどのように変化してきたか。
それは社会全体の変化とどのように関わっているのか。
若者の役割の変化から社会の性質のどんな変化を読み取ることができるか。
これは社会学の問い、歴史学の問いです。
④〈若者・青春〉を「社会的」+「超歴史的」に見る。
いつの時代、どの社会にも若者は存在する。
個々の時代・社会の相違を超えて、若者が社会に対して果たす役割は何だろうか。
これはかなり抽象的な問いの立て方です。
【高みをめざして】
何かの困難を抱えているとき
何らかの問題に直面しているとき
何が問題なのかはっきりしないけれど、なんだかもやもやして苦しいとき
こうしたとき、問いの立て方から整理して、問題を明らかにし、問いの方向性をはっきりさせることによって、解決への道を探ることができます。
近代合理主義の限界に留意し、その欠陥を克服しながら、よりよい知の在り方を探究してゆくこと
ホモ・サピエンスの思考を新たな地平へと高めていくこと
21世紀に生きる私たちの知性の真価が問われています。