頑張らない世代(?)の前期中間(のぶや)

こんにちは、1994年生まれゆとり世代ど真ん中の、のぶやです。

教育業界ではない友人にはよく、「やっぱり今の若い子たちは違うの??」と聞かれることがあります。

確かに、メディアでは○○世代などと生まれた年代の時代背景や特徴を一言で表す言葉を目にします。世代間の意識の差や、考え方の違いから生まれる問題なども多く取り上げられているように感じます。

また、様々な業界で若手の離職率の増加などが問題となっており、いかに辞めてもらわないかに注力していると聞きます。

書店にも部下の育て方や教育関係の書籍が平積みされているのも、そういった需要があるという事なのでしょう。

そんな現状をみるとどうしても、「最近の若い者は~」と言いたくなる(思いたくなる)のが人の常なのでしょう。

しかし、前述した友人の質問にはいつも「どの世代も、頑張る子は頑張るし、頑張らない子は頑張らないよ。」と答えます。

テスト直前になってもスイッチが入らない子は、家でも塾でも散々言われながら嫌々やるものです。逆に、何も言わなくても自分で考えて自習室に来て、進んで質問をしにくる子もいます。

だって思い返してみてください。そういった子たちは、私たちが中学生や高校生だったときにもいましたよね?

当たり前の話ですが、個々人のパーソナリティは生まれた年月日で決まるものではありません。私は、どちらかというと子どもたちが変わったのではなく、子どもを育てる親やその環境をつくる大人たちが変化しているのだと思います。

善し悪しの話ではなく、子どもたちに「無理しなくていいよ。」と言って育てれば、そういう価値観になるのは当然のことでしょう。努力する姿を子どもに見せれば、それが子どもにとって普通になるのもまた然りです。

事実として、昔は当たり前のようにあった体罰も、今では絶対に認められるものではなくなりました。これは、子どもたち自身の価値観の変化ではなく子を持つ親の価値観の変化ではないでしょうか。

と、まあそんなことを考えている間に中学生も高校生も前期中間テストがやってきます。

進んで勉強にくる子も、嫌々くる子も、来たからには1点でも多く得点できるように最後までサポートするのが私たちの役割です。子どもたちからは「もうあきらめた~」とよく耳にしますが、これまた善いか悪いか、そんな言葉には耳を傾けないのがアスナ流です。

最後の最後まで、あきらめ悪くとことん向き合います。

一緒に乗り越えましょう!


p.s.

噓か真か、約5000年前エジプトのピラミッド建設に携わった職人が天井裏に「近頃の若い者は、、、」と書いたという話を聞いたことがあります。

人の世の常ですね。