民主主義って、なに?(林)

ふたつの問い
のっけから質問して恐縮ですが、いまの日本は民主主義の国でしょうか?

いろいろ問題があるけれども、まあそうだろう
と思う人が多いのではないでしょうか。

民主主義が完璧に実現された理想の国だとは考えないとしても、民主主義が全く存在しない専制国家だという見方を支持する人も少ないかと思います。

もうひとつ質問します。
民主主義は良い(善い)ものですか。
それとも悪いものですか。

これも「良いもの」と考える人が多いのではないでしょうか。
はじめの質問と関連づけると、
日本は民主主義の国だという命題を認めたうえで、
民主主義は良いものだとすれば、いまの日本はまあ良い国だと考えることになります。
民主主義は悪いものだと考えるならば、いまの日本は悪い国だということになるでしょう。

民主主義は良いとも悪いともいえず、善悪の価値観とは結びつかない、価値的に中立な概念だという考え方をする人もいるでしょう。
この立場をとれば、かりに日本を民主主義の国だと認めるとしても、そこから直接に日本が良い国だとか悪い国だとか決めることはできないという判断が導き出されます。

あるいは、良い民主主義もあれば悪い民主主義もあるという考えを持つ人もいるでしょうか。
この考えはさらにふたつにわけられます。
ひとつは、民主主義そのものに良い民主主義と悪い民主主義があるという立場です。
これは民主主義自体に善もしくは悪の価値が内包されているという考え方です。

もうひとつは、民主主義それ自身は価値をもたず、良い事柄(出来事)と結びつくと良い民主主義となり、悪い事柄(出来事)と結びつくと悪い民主主義になるという考え方です。

ややこしいことを書いているように見えますか。
しかし問題を整理すれば単純です。
民主主義それ自体が価値をもつのか、それとも価値をもたないのかに尽きます。
今日はこの問いを念頭に置いて、民主主義とはそもそも何かということを考えます。

民主主義は手続きの理念
民主主義(democracy、民主政)は、王政や貴族政と同じく、「だれが政治を担うか」ということにかかわる言葉です。

一人の支配者=王でもなく、少数の限られた人々=貴族でもなく、みんなが政治を担う。
みんなに関係することはみんなで相談して決めて、決まったことにはみんなが従おう。

これが民主主義の本来的な意味であり、一部のメンバーの特権を認めない、政治的平等の理念です。

ただし、ここが重要なところですが、民主主義はあくまで「だれが決めるか」という手続き、つまり「方法」にかかわる理念に過ぎません。

民主主義は太っ腹
ひとびとの集まりを共同体といいます。
メンバーの数が少なく、均質なひとびとから構成される共同体であれば、政策はすんなりと決まり、みんなが納得してその決まりに従うでしょう。

しかし、メンバーの数が膨大になり、ひとびとの価値観がそれぞれ違い、利害関係も複雑に入り組んでくると、メンバーの意見は多様かつ流動的になります。
そうなると、政策決定も多様化して流動化します。

そのため、みんなで相談して決めることによって、あるエネルギーの利用を増やすこともできるし、減らすこともできます。
自由な言論を推し進めることもできれば、反対に言論を制限することもできます。
公正な選挙を求めることもできれば、選挙の停止を求めることもできてしまいます。

そのうえ、この振れ幅は、みんなで相談して決めてみんなが従うという民主主義が進展すればするほど、大きくなってゆきます。

つまり、民主主義は発展すればするほど、民主主義自身を壊すことさえ、民主主義の「正しい方法」によってできるようになります。
民主主義は自己破壊を許すほどに太っ腹な「方法」なのです。

民主主義のパラドクス
近年、世界的な潮流として「民主主義の危機」が叫ばれています。
この「危機」は民主主義が未発達な国や地域においてのみ生じているのではありません。
民主主義が定着し、高度に発達している国でも起こっています。
日本も例外ではありません。

民主的な国家における「民主主義の危機」は、民主主義が不徹底だから起きるのではなく、民主主義が自己破壊をもたらすほどに発達し、普及したからこそ起きる現象です。
これを民主主義のパラドクスと言います。

民主主義とポピュリズム
ポピュリズムpopulismという言葉を目にしたことがあるでしょうか。
日本語では「大衆迎合主義」と訳されることが多いようです。
ただし、この訳語はポピュリズムを否定的にとらえる響きがあります。
それゆえ、ポピュリズムは民主主義と敵対し、民主主義が掲げる理念を根底から脅かす存在であると見なされがちです。

しかしポピュリズムという言葉はラテン語で「ひとびと」を意味する「ポプルスpopulus」を語源とします。
したがってポピュリズムを直訳すると「ひとびと主義」「人民主義」となります。
だからこそポピュリズムには、これまで政治から排除されてきた「ひとびと」の政治参加を促し、特権的なエリート層に対抗する「ひとびと」の力という側面があります。

特権的なエリート層というのは、いまある国家や社会において、良い思いをしてきた人たちのことです。
既得権益層なんて言い方もします。

ポピュリズムは、そういったおいしい思いをしてこなかった「ひとびと」の不満や怒りや怨嗟を酌み取り、政治を「ひとびと」の手に取り戻そうという動きでもあります。
それゆえポピュリズムそれ自体は民主主義が理想として掲げる姿と矛盾するわけではありません。

ポピュリズムの危険性
とはいえ、ポピュリズムを手放しで賞賛することもできません。
なぜなら、ポピュリズムは「ひとびと」からの人気を得ることを最優先する政治活動や思想であり、「ひとびと」を扇動するような政策を掲げ、少数派や弱者への差別をあおる排外主義に走る傾向が強いからです。
また「ひとびと」の意思を尊重するあまり、権力分立や政党、議会、司法機関といった、良き統治を実現するために必要な制度を無視し、権力濫用につながる危険性も強くあるからです。

もうひとつの原理
ポピュリズムは民主主義から生まれてきます。
それは民主主義の発展がもたらす必然的帰結のひとつです。

どうしてそうなるかというと、上述のとおり民主主義はあくまで「だれが決めるか」という手続き、「方法」の理念に過ぎないからです。
言い換えれば、民主主義そのものは、ポピュリズムの台頭に見られるような「民主主義の危機」を克服する機制(メカニズム)をもたないということです。

民主主義を否定する政策が民主主義的に生みだされることを民主主義は止められないとすれば、どうすればよいのでしょうか。

実は世界の多くの国が採用する政治体制は、民主主義と並んでもう一つの原理をもっています。
それが立憲主義constitutionalismです。
これについては次回に論じましょう。

おしまいに
冒頭のふたつめの問いに対する私の考えを書いておきましょうか。
民主主義は「だれが決めるか」という手続き、「方法」の理念です。
たとえて言うと「道具」です。
方法・道具の価値は目的との関係によって決まります。
したがって、民主主義そのものは価値的に中立、ニュートラルだというのが私の考えです。