月にいざなわれ(林)

高校1年生の国語の授業で漢詩を学びました。
そのひとつが白居易の
「八月十五日夜禁中独直対月憶元九」
(八月十五日の夜、禁中に独り直し、月に対して元九を憶う)
です。

白居易(772~846)は中唐を代表する詩人で、若いときから流行作家となり、朝鮮や日本でもよく知られていました。
この詩は810年、唐都の長安(陝西省西安市)にいる白居易が江陵(湖北省荊州市)の元愼に思いを馳せて詠みました。

それを象徴するのが頷聯(第3句と第4句)です。
三五夜中新月色
二千里外故人心
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
ちょうどいま昇った十五夜の月
二千里のかなたにいる 懐かしい友の心

白居易は宮中で中秋の月を見て、その月が照らしているであろう元愼を思っています。
ただし、月が遠方にいる人への思いを媒介するという発想は白居易の独創ではありません。
その起源は六朝時代(3世紀~6世紀)の詩文に求めることができます。

【六朝時代の詩】
南朝宋の詩人である謝荘(421~466) の「月賦」は、
美人邁兮音塵闕
隔千里兮共明月
美人邁きて音塵闕え
千里を隔てて明月を共にす
いとしい人は去って音信が絶え
千里を隔てて明月をともにする

同じく南朝宋の詩人、鮑照(414?~466)の「翫月城西門解中」は、
三五二八時
千里与君同
三五 二八の時
千里 君と同にす
十五夜、十六夜になれば
千里を隔てたあなたと一緒に月を見ることができる

南朝陳の詩人である徐陵(507~583)の「関山月」は、出征した兵士が都に残してきた妻を思う詩です。
関山三五月
客子憶秦川
思婦高楼上
当窗応未眠
関山 三五の月
客子 秦川を憶う
思婦 高楼の上
窗に当たりて応に未だ眠らざるべし
国境の山々にかかる満月
出征兵士ははるか都へ思いを凝らす
高殿でもの思いにふける妻は
窓にもたれてなお眠れないことだろう

【唐時代の詩】
唐時代(7世紀~10世紀)に入っても、このモチーフは愛用されます。
張九齢(678~740)の「望月懐遠」は、女性が遠方にいる恋人を思慕するという閨怨詩の体裁をとります。
海上生明月
天涯共此時
海上 明月を生じ
天涯 此の時を共にす
海の上に明るい月が昇る
空の果てに離れた人と、この時をともにする

李白(701~762)の「静夜思」は望郷の詩。
挙頭望山月
低頭思故郷
頭を挙げて山月を望み
頭を低れて故郷を思う
頭をあげて山の上に出た月を眺め
頭をたれてふるさとを思い出す

杜甫(712~770)の「月夜」は家族を思念します。
今夜鄜州月
閨中只独看
今夜 鄜州の月
閨中 只だ独り看るならん
今夜、鄜州の町を照らす月を
長安にいる妻は寝室でひとり見ているだろう

【月のいざない】
月を見てどうして遠方の人や故郷を思慕するのでしょう。
それは遍在する月の光が、自分を照らしているように、遠くの土地やそこに暮らす人をも同じように照らしていると考えるからです。

【光源氏の想念】
『源氏物語』須磨巻の有名な一節をご紹介します。

月のいとはなやかにさし出でたるに、
こよひは十五夜なりけり、と思し出でて、
殿上の御遊び恋しく、
ところどころながめ給ふらむかし、
と思ひやり給ふにつけても、
月の顔のみまもられ給ふ。
「二千里外 故人心」
と誦じ給へる、
例の涙もとどめられず。

月がたいそう目の覚めるように美しく輝き出ているので、
今晩は十五夜だったことだよ、と光源氏は思い出しなさって、
清涼殿での管絃の催しが懐かしく、
紫の上や花散里などが、月を眺めて私を偲んでいることだろう、
と思いを遠くに馳せなさるにつけても、
光源氏は月の面だけを見つめなさらないではいられない。
「二千里のかなたにいる 懐かしい友の心」
と光源氏が声を出して唱えなさると、
従者たちはいつものように涙をとどめられない。

これは、失脚して須磨(兵庫県神戸市)に退去していた光源氏が、宮中での管絃の催しをなつかしみ、紫の上や花散里などの女性たちを偲ぶという場面です。

そこに白居易の「二千里外 故人心」
が引用されています。
長安と江陵の間は直線距離で約550km、
京都と須磨は約70km。
スケールは全く違いますが、思いは共通しています。

【旅立ちに際して】
光源氏は須磨へ旅立つときに、

さるべき書ども、文集など入りたる箱、さては琴ひとつぞ持たせ給ふ。
しかるべき書物、『白氏文集』などが入っている箱、そのほかに七弦の琴を一張持たせなさる。

と、白居易の詩文集『白氏文集』を持参しています。

4月から岐阜を離れて他郷で新生活を始めるみなさんも、中国の文人や平安貴族のように、月を見て家族や友達を懐かしく思い出すことがあるでしょうか。