市場のすがた(林)
『韓非子』の「買履忘度」についての続編です。
鄭の人は履き物を買いに市場に出かけました。
市場はどんな様子だったのでしょう?
今回は、画像資料と文献史料を使って、中国古代、とくに漢時代(紀元前3世紀末~紀元3世紀初)の市場のすがたについて考えます。
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4枚の画像磚を紹介しましょう。
画像磚とは絵画が彫刻されたレンガのことです。
4枚とも四川省で出土した後漢時代(1世紀~3世紀)の画像磚です。
図1をご覧ください。
周囲が壁に囲まれ、上と左右の3カ所に門があります。
上の門には「北市門」、左の門には「東市門」と記されています。
門を入ると大きな道路が十文字に走っていて、内部を4区画に分けています。
中央には2階建ての建物があり、2階には太鼓が懸かっています。
4つに分かれた区画には、それぞれ数列の建物が並び、その間を道路が通っています。
図1 四川省新繁県出土画像磚
(佐原康夫『漢代都市機構の研究』汲古書院、2002年より転載)
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図2は左側に「東市門」、右側の建物に「市楼」という文字が見えます。
「市楼」の2階には、やはり太鼓が懸かっています。
図2 四川省広漢県出土画像磚
(堀敏一『中国古代の家と集落』汲古書院、1996年より転載)
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図3は画面が3段に分かれ、中段左に「市門」、右に「南市門」と記され、それぞれ門から中に入ろうとする人が描かれています。
図3 四川省彭県出土画像磚
(佐原康夫前掲書より転載)
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図4は市場であることを示す文字はありませんが、画面の右手に2階建ての建物があり、太鼓が懸かっています。
図4 四川省彭県出土画像磚
(渡部武『画像が語る中国の古代』平凡社、1991年より転載)
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続いて文献史料を見ていきましょう。
後漢時代の張衡(78年~139年)の「西京賦」は前漢(紀元前3世紀末~紀元1世紀初)の都長安の市場を次のように描いています。
廓開九市、通闤帯闠、旗亭五重、俯察百隧
おおいに九つの市場を開設し、闤(かん)をめぐらせ闠(かい)を設け、旗亭(きてい)は五階建てで、上から百隧(ひゃくすい)を監督する。
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難しい言葉の意味を確認します。
まずは「闤」と「闠」
西晋時代(3世紀)の崔豹の『古今注』は次のように記しています。
闤、市垣也(闤は市場の壁である)。
闠、市門也(闠は市場の門である)。
闤は市場をかこむ壁、闠は市場に出入りするための門ということです。
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次は「旗亭」
後漢末から三国時代(3世紀)の薛綜は「西京賦」に注して
旗亭、市楼也(旗亭は市楼である)。
と言っています。
『三輔黄図』という書物も見てみましょう。
この書は南北朝時代(5世紀~6世紀)に成立した後、隋唐時代(6世紀~10世紀)にかけて増補・加注されたと考えられます。
『三輔黄図』の「長安九市」条に次のようにあります。
『廟記』云「長安市有九、各方二百六十六歩。(中略)市楼皆重屋也。又曰旗亭楼。」
当市楼有令署、以察商賈貨財売買貿易之事。
『廟記』が言う、「長安は市場が九つあり、それぞれ266歩(約370m)四方である。(中略)市楼はすべて二階建て以上で、旗亭楼とも言う。」
市楼には役所があり、商人の財貨・売買・貿易を監督する。
旗亭は市楼とも言い、二階建て以上の建物で、商人の活動を監督する役所ということです。
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旗亭が市場を監督したことについては、北魏の楊衒之(6世紀)が著した『洛陽伽藍記』の「城東竜華寺」条にも次のように記されています。
陽渠北有陽建里。
里有土台、高三丈、上作二精舎。
趙逸云「此台是中朝旗亭也。上有二層楼、懸鼓撃之以罷市。」
陽渠の北に陽建里がある。
その里には土台があって、高さ三丈(約7m)、その上に二棟の僧院が建っている。
趙逸が言う、「この台は後漢時代の旗亭であった。その上に二階建ての建物があり、太鼓を懸けてこれを撃って市場を終わらせたのである。」
旗亭の2階に太鼓が懸かっているというのは、図1・図2・図4と一致します。
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最後に「隧」
薛綜の「西京賦」注は次のように記しています。
隧、列肆道也。
隧(すい)は列肆(れっし)の道である。
「肆」は『春秋左氏伝』襄公30年(紀元前543年)条に、
伯有死於羊肆。
(中略)斂而殯諸伯有之臣在市側者。
伯有が羊肆(羊商人の商店街)で殺された。
(中略)遺体を棺に納めて、市場のそばに住む伯有の家臣らの家に安置させた。
とあり、春秋時代の鄭国の市場は同一の商品を扱う店が軒を並べ、肆を形成していたと伝えています。
以上から、「肆」とは同一業者の商店街であり、商店街の道路が「隧」であるとわかります。
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文献史料を援用して画像磚を読み解きましょう。
市場は周囲を闤(かん)と呼ばれる壁に囲まれています(図1)。
市場へは闠(かい)という門から出入りします(図1・図2・図3)。
市場は十文字に走る道路によって4区画に分かれています(図1)。
それぞれの区画には肆(し)という商店街が連なり、その間を隧(すい)という道が通っています(図1)。
市場の中央には旗亭・市楼という建物があり、市場を監督しています(図1)。
その2階には太鼓が懸かっていて、その音で市場の終了を知らせます(図1・図2・図4)。
これが漢代の市場のすがたです。
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さて『洛陽伽藍記』には「懸鼓撃之以罷市」と記されています。
『韓非子』の「買履忘度」にも「及反市罷、遂不得履」と書かれています。
次回は「罷市(市場を終える)」「市罷(市場が終わる)」について書きましょう。