川端康成 青春の悲恋(林)
5月の大型連休明けから毎週火曜日に長良校に来ている林です。
中学3年生の英語と高校2年生の国語を中心に授業を担当しています。
他の学年の授業もときおり受け持つことがあるでしょう。
みなさんにお目にかかることを楽しみにしています。
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6年前に岐阜に越してくる前から、私は川端康成を通して長良という土地にゆかしさを感じてきました。
川端康成は1899年に大阪で生まれ、1968年に日本で最初のノーベル文学賞を受賞し、1972年に自ら命を絶ちます。
『伊豆の踊子』『雪国』『古都』など、数々の優れた小説を書いていて、今でもいろいろな出版社が彼の作品を刊行し、中国でもブームになっているそうです。
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新潮文庫の『初恋小説集』(2016年4月初版)は21編の短編小説を収録しています。
そのうちの14編は川端康成が22歳の時に経験した失恋が題材となっています。
各編のタイトルは以下の通りです。
「南方の火」
「南方の火(二)」
「南方の火」
「南方の火」
「篝火」
「新晴」
「非常」
「生命保険」
「丙午の娘 讃、他」
「五月の幻」
「霰」
「浅草に十日いた女」
「彼女の盛装」
「水郷」
ほとんどが1920年代初頭から30年代半ばにかけて執筆、発表された作品です。
ただし最後の「水郷」は1965年に『週刊朝日』に掲載されました。
また「南方の火」という題名の作品は(二)を含めて4編あります。
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どの作品も川端康成と伊藤初代という女性との関係を扱っています。
川端は旧制の第一高等学校の学生だった1919年頃からカフェ・エランに通うようになって、女給の初代と出会います。
その時、川端は20歳、初代は13歳でした。
1920年9月に川端は東京帝国大学文学部に入学します。
初代は東京を離れ、岐阜にある寺の養女となります。
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一連の出来事を時系列で整理しましょう。
1921年
9月16日 川端が岐阜に初代を訪ねる
10月8日 川端が初代と結婚の約束をする
11月8日 初代から絶縁の手紙が届く
11月9日 川端が岐阜に駆けつけ、初代に会う
11月10日 川端の友人が初代を説得し、翻心させる
11月25日 初代から再び絶縁の手紙が届く
1922年
3月 初代が東京のカフェで働いていることを川端が知る
川端は初代を訪ね、二度と会わないと宣告される
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初代が婚約を破談にした本当の理由を、川端は1923年10月に聞かされたようです。
上掲の作品は、真相を知る前に書かれたものもあれば、知った後に執筆されたものもあります。
しかし、どの小説も本当の理由には言及していません。
したがって、小説の読み方としては、余計な詮索をしないで、真相を知らされる前の川端の視座に立って、幸福と喜悦から、驚愕、不審、猜疑を経て、期待と祈願の果てに、絶望と諦念へと至る感情の揺れ動きを素直に受け取ればよいのでしょう。
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小説家として生きてゆくと心に決めた若き日の川端にとって、初代との破恋は、なんとしても正面から見つめ、懊悩と煩悶を乗り越えて文学へと昇華し、小説に結実させなければならない核心的な難題だったのでしょう。
『初恋小説集』はそれを精細に教えてくれます。
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一連の作品には、長良川、金華山、長良橋、岐阜公園、名和昆虫研究所(現・名和昆虫博物館)、柳ヶ瀬、鵜飼、岐阜提灯、和傘など、岐阜市ゆかりの風物が登場します。