太陽が10個あるって!?(林)

太陽の表面で起きる大爆発(太陽フレア)がニュースになっていますね。
太陽フレアは大きな黒点のまわりでときどき起こるのだそうです。

日本サッカー協会のシンボルマークに使われている3本足のカラスは、太陽の巨大な黒点を肉眼でみた形象ではないかと言われます。
このカラスは八咫烏(やたがらす)と言って、日本の神話によると、神武天皇が東征を行った時に、天皇を熊野から大和に道案内したカラスであり、太陽の化身ともされます。

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この3本足のカラス、どうやら中国の神話に由来するようです。
中国の戦国時代(紀元前5世紀~紀元前3世紀)の末に成立した『山海経(せんがいきょう)』という書物に、次のような文章があります。

『山海経』大荒東経

  大荒之中有山、曰孽揺頵羝。
  上有扶木、柱三百里。
  其葉如芥。
  有谷、曰温源谷。
  湯谷上有扶木、一日方至、一日方出。
  皆載於烏。
  大荒の中に山があり、孽揺頵羝(げつよういんてい)という。
  山の上に扶木(ふぼく)があり、三百里(約120km)の高さにそびえる。
  その葉は芥のようである。
  谷があり、温源谷(おんげんこく)という。
  湯谷(とうこく)のほとりに扶木(ふぼく)があり、一つの太陽が到着しかかり、一つの太陽が出かかっているところである。
  いずれもカラスを載せている。

このカラスについて、晋時代の郭璞(かくはく、276年~324年)は

  中有三足烏(中に三本足の烏がいる)

と注釈をしています。
太陽の中に3本足のカラスがいるわけです。

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さて、上の『山海経』大荒東経は、扶木という樹木のところで複数の太陽が行き来していると記しています。
扶木という樹木、複数の太陽に注目しつつ、下の図をご覧ください。

(渡部武『画像が語る中国の古代』平凡社、1991年から引用)

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これは湖南省長沙市にある馬王堆(ばおうたい)前漢1号墓で発見された帛画(はくが)です。
帛画とは絹布(けんぷ)に描かれた絵画をいいます。
馬王堆1号漢墓は前漢時代初期に長沙国(ちょうさこく)の丞相を務めていた軑侯利蒼(たいこうりそう)の妻が埋葬された墓で、紀元前2世紀のものと推定されます。

帛画の右上に、曲がりくねった木のまわりに9個の○が描かれ、一番大きな○の中に烏がいます。
この木が『山海経』の扶木にあたり、9個の○がそれぞれ太陽だと考えられます。
ただし帛画のカラスは2本足です。

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続いて、『山海経』大荒南経を見てましょう。

  東南海之外、甘水之間、有羲和之国。
  有女子曰羲和。
  方日浴於甘淵。
  羲和者俊之妻、生十日。
  東南の海の外、甘水(かんすい)のあたりに、羲和(ぎか)の国がある。
  そこには羲和という女性がいる。
  太陽を甘淵(かんえん)で水浴させているところである。
  羲和は俊(しゅん)の妻であり、十個の太陽を生んだ。

さらに『山海経』海外東経は次のように記しています。

  下有湯谷。
  湯谷上有扶桑、十日所浴。
  在黒歯北。
  居水中、有大木、九日下枝、一日上枝。
  下に湯谷(とうこく)がある。
  湯谷のほとりに扶桑(ふそう)の木があり、十個の太陽が水浴するところである。
  扶桑の木は黒歯(こくし)の北にある。
  水中に大木が生えていて、九個の太陽は下の枝にいて、一個の太陽は上の枝にいる。

 以上の史料から、太陽は10個あること、俊の妻である羲和が太陽を生んだこと、太陽は扶桑の木のところで水浴びをするということが読み取れます。

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 俊(しゅん)は堯(ぎょう)とならぶ聖天子の舜(しゅん)であり、旬(しゅん)とも書きます。
 この俊=舜=旬は太陽神であり、殷王朝の祖先とされました。
 殷の人々は10個の太陽にそれぞれ甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸という名前を与えます。
 これにバビロニア起源の十二支を組み合わせて作られるのが十干十二支(干支)です。

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 阪神甲子園球場は1924年、甲子(きのえね)の年に完成したのが名前の由来だということはよく知られています。
 今年(2024年)は甲辰(きのえたつ)です。

 「旬」という言葉も現代の日本でよく使われていますね。
 旬の香りとか、旬の野菜とか言ったりするほか、月の上旬、中旬、下旬という使い方もあります。
 この「上旬・中旬・下旬」というのは、1ヶ月を10日ずつに区分しています。
 どうして「旬」が10日単位であるかというと……。

 みなさんもうおわかりでしょう!
 中国古代の太陽神話、10個の太陽という観念に由来しています。

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 今、中学1年生の社会(歴史分野)では中国文明について学習しています。
 その中に殷王朝も出てきます。
 殷王朝は今から3000年以上も昔の黄河中流域に存在した初期国家の一つです。
 そんな殷の人々の考えていたことが、時代と地域を越えて、古代の日本神話に影響を与え、さらに現代の日本にも生きています。
 びっくりしませんか?