太宰治「きりぎりす」(林)

先日、高校3年生のひとりと話をしていて、太宰治が話頭にのぼりました。
太宰の『人間失格』をもう少しで読み終えるところなのだそうです。

太宰治は本名を津島修治といい、1909年に青森県金木村(現在の五所川原市金木町)に生まれました。
1935年に「逆行」が第1回芥川賞の次席となり、翌年に最初の創作集『晩年』を刊行します。
以後、第二次世界大戦後まで多くの優れた作品を書き、1948年に玉川上水に入水して命を絶ちました。

太宰治は今でも江湖の読書子に広く深く愛されています。
それは少し大きな書店に行けば、彼の作品がずらりと並んでいることから推測できます。
岩波文庫では今年から新しく太宰治の小説集6冊を刊行しはじめました。
6月に『晩年』、9月に『富嶽百景・女生徒 他6篇』が出され、今月は『走れメロス 東京八景 他5篇』が出版予定です。
その後、『十二月八日 苦悩の年鑑 他12篇』、『惜別 パンドラの匣』、『ヴィヨンの妻 桜桃 他9篇』を逐次刊行していくそうです。

太宰文学の特徴は那辺にあるのでしょう。
自身や周囲の人々、郷里や社会、文壇にむけて示す、嘲笑と媚び、倨傲と卑下、反抗と甘え、侮蔑と阿諛といった種々に捻れて屈曲した態度。
それを魅力として称える人もいれば、弱点として惜しむ人もいます。

私も太宰の作品をたくさん読んできて、好きな小説が幾つかあります。
ただし熱烈な愛好家もしくは信奉者ではありません。
その理由を述べるのは別の機会に譲り、今日は新潮文庫版『きりぎりす』を紹介しましょう。
本書は1937年から42年に発表された14の短篇を収録しています。
以下に、各篇の初出誌と年を記して短い評語を添えておきます。

「燈籠」(『若草』1937年)
太宰の十八番といわれる女性の告白体小説です。
末尾のささやかな幸福がかえってもの悲しさを感じさせます。

「姥捨」(『新潮』1938年)
自嘲癖が抑制されていて、突き放した叙述が成功しています。
別離を決意する身勝手さもうまく描けています。

「黄金風景」(『国民新聞』1939年)
生家に奉公していた女中と再会する話。
故郷の人々への甘えた感傷が作品全体をほの暗く照らしています。

「畜犬談」(『文学者』1939年)
面白く描こうという意識が鼻につきます。
ただし妻の態度が作品の破綻をかろうじて弥縫しています。

「おしゃれ童子」(『婦人画報』1939年)
子供の頃からのおしゃれへのこだわりを語っています。
太宰ファンならば嬉々として読む内容でしょうか。

「皮膚と心」(『文学界』1939年)
育ちや容貌にコンプレックスを抱く女性の素肌への思いを記します。
妻が不意に抱く夫への疑念と夫の優しい気遣いの描写が巧みです。

「鷗」(『知性』1940年)
出征した兵士が送ってくる小説の草稿への感想にからめて、芸術への思いを述べます。
弱さ、屈折、哀しみを誇張なく書いています。

「善蔵を思う」(『文芸』1940年)
故郷へのねじけた甘えが滲み出ています。
薔薇の価値をめぐる話は蛇足かと。

「きりぎりす」(『新潮』1940年)
俗物に豹変する孤高の画家を妻がきびしく指弾します。
太宰の自己批判とみるのが素直な読み方でしょうか。

「佐渡」(『公論』1941年)
死ぬほど淋しい場所を求めて佐渡を訪れた紀行文風の小説です。
2人の女中への淡い甘えを嫌味なくさらりと書いています。

「千代女」(『改造』1941年)
女性の生き方と若い才能を開花させることの難しさとを問いかけます。
芸術的な才能を持つことは幸福なのでしょうか。

「風の便り」(『文学界』『新潮』『文芸』1941年)
二人の小説家が交わす往復書簡の形を採った文学論の表白です。
太宰特有の屈折、自虐、甘え、ポーズの地金が見え隠れしています。

「水仙」(『改造』1942年)
凡庸な人々が天才的な才能を無残に破壊する悲劇。
救いのない展開がむごたらしさを的確に表現しています。

「日の出前」(『文芸』1942年)
長男の悪行が家族を破滅に導くトラジェディー。
甘みも弛みもなく惨状を冷徹に描き切っていて見事です。

太宰治は多くの秀作を生み出した非凡な小説家です。
彼を知らずに青春の多感な時期をすごすのは、目の前の宝の山に気づかずに素通りすることに等しいでしょう。
ぜひ一度、太宰の作品を読んでみてください。
〈太宰沼〉に溺れる人がきっといるはずです。