天の祭り~その4(林)

前回のおさらい
5月14日に中国の習近平国家主席とアメリカのトランプ大統領が訪れた天壇公園は北京市の南部にあります。
中国の歴代王朝は都の南郊で天を祭ってきました。
天の祭祀はなぜ都の南で行われるようになったのでしょう。
このテーマをめぐって、前回は前2世紀後半~前1世紀前半、前漢の武帝が始めた太一(たいいつ)の祭りを考察しました。

まとめると次のとおりです。
太一は青・赤・黄・白・黒の五帝を超える最高神に位置づけられます。
武帝は最初の帝王とされる黄帝にならい、登仙(仙人になって天にのぼる)を願って太一をみずから祭りました。

封禅の準備
今回は武帝による封禅(ほうぜん)について考察します。
封禅は天を祭る「封」と地を祭る「禅」からなる祭祀儀礼です。
「封」は山東半島の泰山(たいざん)という山で行い、「禅」はふもとの丘で行います。
前219年に秦の始皇帝が封禅を挙行したことは「天の祭り~その1」で記しました。

武帝は前113年に汾陰(山西省万栄県)で宝鼎を得てから、数年にわたって大臣や学者たちと封禅のやり方について議論します。
しかし、これまで封禅が行われたことはほとんどなく、はるか昔に途絶していて、その方法を知る者はいません。
そのため儒学者たちは『尚書』『周官』『王制』を参照して、山川の祭りの牛を射る儀式をもとに封禅の儀礼を考案します。

これとは別に武帝は公孫卿(こうそんけい)や方士たちから、黄帝以前の封禅はみな物の怪(もののけ)を使って神と通じていたと教えられます。
公孫卿は前回のブログで書いたように黄帝の登仙を武帝に説いた人物です。

武帝は黄帝にならって蓬莱山(ほうらいざん)で仙人に会い、黄帝以前の九人の天子の徳と肩を並べ、一連の儀式を儒学者のやり方で飾りたてようと考えます。
しかし、儒学者たちは封禅の次第をはっきりさせられず、『書経』『詩経』などの古い書物にこだわって融通が利きません。
また武帝が封禅で用いる祭器(祭りの道具)を見せると、昔の器物とは異なると文句を言います。
このため武帝は儒学者の意見を採用しないことにしました。

仙人を求めて
前110年3月、武帝は山東半島に赴き、海岸をめぐって八柱の神を祭ります。
すると山東半島の斉(せい)出身の者が何万人もやって来て、神秘的な現象や妖しげな方術について上奏しました。
そこで多くの船を出し、海上にある神仙の山について語る数千人に命じて、蓬莱山に住む仙人を探し求めさせます。

公孫卿は、
夜に大男を見ました。
背丈は数丈(1丈は約230cm)。
これに近づくと見えなくなり、その足跡はとても大きくて、けだもののようでした。

と告げます。

臣下のなかにも、
犬を連れたひとりの老人が現れて、天子にお目にかかりたいと言うや、たちまち見えなくなりました。
と報告する者がいます。

武帝は大きな足跡を実見しても半信半疑でした。
しかし老人のことを聞いて仙人に違いあるまいと考えます。
武帝は海岸にとどまり、方士に車を与えて、密かに仙人を求めさせることが数千回に及びます。
このように武帝が仙人に会いたがっていたことは、封禅の性格を考えるうえでとても重要です。

封禅の実施
前110年4月、いよいよ封禅が挙行されます。
武帝は、封禅について語る儒学者や方士の言葉がそれぞれに異なり、筋が通らないため、彼らの主張に従って実施するのは難しいと判断します。

4月乙卯(きのとう)の日、泰山のふもとで「封」の儀式を行います。
その礼式は太一の郊祭(郊外での祭祀)にならいました。
祭壇は、長さ約2.7m四方、高さ約2m。
下に玉牒書(美しい模様を持つ石の札に記された文書)が埋められました。
しかしその内容は秘密とされます。

この儀礼が終わると、武帝は侍中(皇帝の身辺に仕える官吏)の霍子侯(かくしこう)だけをともなって泰山に登り、山頂でも「封」を行います。
この内容も秘匿されました。

翌日に下山した武帝は、泰山の東北の粛然山(しゅくぜんさん)で「禅」を行います。
その方法は后土(大地の神)の祭礼に従い、武帝みずから黄色の衣を着て拝礼しました。
その際、遠方から送られた珍しい鳥獣や白雉(しろきじ)などが放たれて、盛大な儀式に花を添えます。

封禅が行われた夜は、あたりに光が満ちわたるようであり、日中には祭壇から白雲が立ちのぼったといいます。

封禅の性格
武帝はその後も、前106年、前102年、前98年、前93年、前88年と5度にわたって封禅を挙行します。
このうち、前102年、前93年、前88年の封禅では、泰山の南麓にある石閭山(せきりょさん)で「禅」を行いました。

『史記』封禅書は石閭山について、方士たちが石閭山は仙人の閭(すみか)であると言ったので武帝がみずから祭ることになったと伝えています。

それでは武帝の封禅はどのような性格の祭祀なのでしょうか。
上述のとおり、封禅における祭天儀礼の内容は秘匿されていて不明です。
しかし、
武帝は黄帝のように登仙したいと願っている。
最初の封禅の直前に仙人を探し求めている。
6回の封禅のうち3回は仙人が棲むという石閭山で「禅」を行っている。

この三点から考えると、武帝の封禅は登仙を祈願する儀式であったと推定されます。

まとめと予告
武帝の封禅は登仙を目的に行われました。
それは当時流行していた方士の方術に基づく呪術的な儀礼です。

前回に述べた太一の祭祀や今回の封禅のような方術的な祭祀は、前漢の後半期に儒学的教養を身につけた官僚たちが政権の要職に就くにしたがい、批判を受けるようになります。
そして新たな祭祀体系が整えられ、都の南郊における天の祭祀が制度化されてゆきます。
次回に続きます。