変革期に処する(林)
自動車メーカーのホンダと日産自動車が経営統合に向けた協議に入ると報道されました。
自動車業界は今、『百年に一度』といわれる大変革期を迎えているそうです。
人類学者レヴィ=ストロースの「冷たい社会」と「熱い社会」の当否はひとまず措くとして、「熱い社会」について言えば、社会は常に変化し、歴史は絶えず動き続けています。
ただし、そのなかでもとりわけ劇的な変化の生じる時期があります。
それは個々人の生き方と組織の在り方がいっそう深刻な問いとなって立ち現れ、それへの応答が真摯に求められる時期でもあるでしょう。
春秋戦国時代は唐宋変革期と並んで、中国史上の大変動期とされます。
時代が根底から大きく揺れ動き、新しい社会の構造と新しい人間の生き方が無数の人々の苦難と奮闘のなかから創りだされてゆきました。
今回は紀元前4世紀なかごろの秦国に光を当てて、変革期への処し方を考えましょう。
紀元前361年、秦の孝公〔こうこう〕が即位した当時、東方には斉、楚、魏、燕、韓、趙の6つの強国が並び立ち、領土侵奪戦争をくり返していました。
秦は西僻の雍州〔ようしゅう〕に位置し、諸侯の会盟に参加できず、夷狄〔いてき=野蛮な国〕として扱われていたと、『史記』秦本紀は伝えています。
孝公元年、河山以東強国六、与斉威、楚宣、魏恵、燕悼、韓哀、趙成侯並。
(中略)諸侯力政、争相併。
秦僻在雍州、不与中国諸侯之会盟、夷翟遇之。
孝公は即位すると次の命令を下します。
賓客・群臣で意表をついたはかりごとを案出し、秦を強くできる者に高い官位と領地を与えよう。
賓客群臣有能出奇計強秦者、吾且尊官、与之分土。
これに応じて秦国に赴いたのが衛国出身の商鞅〔しょうおう〕でした。
商鞅は秦の宮廷で体制改革をめぐって甘龍〔かんりょう〕・杜挚〔とし〕と論争します。
甘龍と杜挚はともに保守派の重臣です。
以下、『史記』商君列伝に依拠して議論を見てゆきましょう。
【商鞅の主張】
「行動を躊躇する者は名声を得ず、事業に逡巡する者は功績なし」と言う。
人より優れた行いのある者は世間から批判される。
独創的な知見をもつ者は民衆から非難される。
愚者は物事が成就したことに気づかず、知者は兆候の現れる前に察知する。
民衆というものは、事業の創始をともに考えることはできず、成就後の恩恵をともに享受するのみである。
最上の徳を論ずれば俗人と齟齬し、大きな功績をあげる際には多数に相談しない。
それゆえに聖人は、国を強くできるならば古い法式に従わず、人民の利益になるならば習慣的礼儀に従わない。
疑行無名、疑事無功。
且夫有高人之行者、固見非於世。
有独知之慮者、必見敖於民。
愚者闇於成事、知者見於未萌。
民不可与慮始而可与楽成。
論至徳者不和於俗、成大功者不謀於觽。
是以聖人苟可以強国、不法其故。苟可以利民、不循其礼。
【甘龍の反論】
聖人は民を取りかえずに教え、知者は法を改めずに治める。
民の望みに寄り添って教えれば、労せずして功績をあげる。
法の規定に従って統治すれば、官吏は慣例どおりに仕事をし、民は安心して服する。
聖人不易民而教、知者不变法而治。
因民而教、不労而成功。
縁法而治者、吏習而民安之。
【商鞅の反駁】
甘龍が言うのは世俗のことばである。
常人は古来のしきたりに安んじ、学者は習い覚えたことにとらわれる。
この両者は官職に就けて法を守らせておけばよい。
彼らとともに法の外側に出て論じることはできない。
夏・殷・周はそれぞれ異なった礼によって王者となり、
春秋時代の五人の諸侯はそれぞれ異なった法によって覇者となった。
智者は法を作り、愚者はその法に支配される。
賢者は礼を改め、不肖の者はその礼に拘束される。
龍之所言、世俗之言也。
常人安於故俗、学者溺於所聞。
以此両者居官守法可也。
非所与論於法之外也。
三代不同礼而王、五伯不同法而霸。
智者作法、愚者制焉。
賢者更礼、不肖者拘焉
【杜挚の批判】
利益が百倍にならないのであれば法を変えない。
効果が十倍にならないのであれば道具を取りかえない。
昔のとおりにしていれば間違いは起こらず、しきたりに従っていれば悪事は生まれない。
利不百、不変法。
功不十、不易器。
法古無過、循礼無邪。
【商鞅の弁駁】
世を治める道は一つではなく、国に都合がよければ古来の法式にこだわらない。
それゆえ、殷の湯王〔とうおう〕と周の文王〔ぶんのう〕は昔の法式にとらわれずに王者となり、夏の桀王〔けつおう〕と殷の紂王〔ちゅうおう〕は古来のしきたりを改めなかったために滅びた。
古来のやり方に違背するからといって誤りであるとすべきではないし、
古来のしきたりにこだわっていては大事を成し遂げられないのである。
治世不一道、便国不法古。
故湯武不循古而王、夏殷不易礼而亡。
反古者不可非、而循礼者不足多。
時代や社会が大きく変わろうとしているときは、どのように行動すればよいのでしょう。
これまでのやり方を金科玉条然と墨守するばかりでは時勢の変化に対応できず、敗残するのみです。
一方、意気ごみばかりが先行し、希望的観測や主観的願望を恃んで拙速に行動するのは暴虎馮河、ついには身を滅ぼしてしまいます。
商鞅は改革派、進歩主義者。
甘龍・杜挚は保守派、伝統主義者。
どちらに共鳴し賛同しますか。
あるいは第三の道があるでしょうか。
これからどうしますか?