問われているのは?(林)
処暑もすぎて夏休みが終わり、各中学校で前期期末テストが行われます。
中学校の先生方がお作りになったテストを拝見していると、生徒たちの学力を適正に測るためにさまざまに工夫なさっているご様子がうかがわれ、頭の下がる思いを抱きます。
ただし、ごく稀なことですが、これは何を答えさせようとする問いなのかと、少しく疑問に思うものもあります。
まずは問題1を読んで解答を作ってみてください。
問題1
次の資料A~資料Cを見て、以下の問いに答えなさい。
〈資料A〉
(紀元前1世紀ごろ)楽浪郡の海のかなたに倭人がいて、100以上の国を造っており、なかには定期的に漢に朝貢する国もある。
〈資料B〉
南に進むと邪馬台国に着く。ここは女王が都を置いている所である。倭にはもともと男の王がいたが、その後国内が乱れたので一人の女子を王とした。名を卑弥呼といい、成人しているが夫はおらず、一人の弟が国政を補佐している。
〈資料C〉
建武中元2(57)年に倭の奴国が漢に朝貢したので、光武帝は印綬(印とそれを結びとめるひも)をおくった。・・・桓帝と霊帝のころ(2世紀)、倭は大いに乱れ、長い間代表者が定まらなかった。
問い 資料A~資料Cを年代の古いものから順に並べ替えなさい。
解答していただけましたか。
正答を導き出す手がかりのひとつとして、設問の意図を読み取ることが大切だと言われることがあります。
この問題は何を聞いていて、何を答えさせたいのでしょうか?
資料A~資料Cを手短に解説しましょう。
資料Aは『漢書』地理志で、紀元前1世紀ころの倭について記しています。
資料Bは『三国志』魏書の東夷伝倭人条(通称「魏志倭人伝」)で、西暦3世紀ころの倭について記しています。
資料Cは『後漢書』東夷列伝で、西暦1世紀ころの倭について記しています。
そうすると、問題1の答えは資料A→資料C→資料Bとなりそうです。
しかし、資料A→資料B→資料Cと答えることも可能です。
なぜでしょうか?
その理由を述べる前に、もうひとつの問いに挑戦してみましょう。
問題2
日本について書かれた歴史書について、それぞれを年代順に並べ、記号で答えなさい。
ア 魏志倭人伝 イ 「後漢書」東夷伝 ウ 「漢書」地理志
どうですか?
ウ→イ→アが正答になりそうです。
しかし、この問題もウ→ア→イと答えることができます。
なぜでしょうか?
その理由は各資料(史料)の成立年代にあります。
『漢書』は全120巻、後漢時代の班固(32~92)が編著し、82年頃までに成立しています。
『後漢書』は全120巻、南朝宋の范曄(398~445)が編著し、432年に成立しました。
『三国志』は、魏書30巻、蜀書15巻、呉書20巻から構成され、蜀・晋時代の陳寿(233~297)が編著して、297年以前に成立しています。
つまり、成立年代に従って並べると、
『漢書』→『三国志』魏書→『後漢書』となります。
ふたつの問題を再掲しましょう。
問題1 資料A~資料Cを年代の古いものから順に並べ替えなさい。
問題2 日本について書かれた歴史書について、それぞれを年代順に並べ、記号で答えなさい。
両方とも、記述内容の古い順から並べる場合と、書物の成立年代の古い順から並べる場合との、2種類の答え方ができるというわけです。
どちらの基準で並べるのか、もう一言付け加えて出題していただければ迷うことはなかっただろうと思われます。
とはいえ、これは白璧微瑕にすぎず、私はいつも学校の先生方に畏敬の念を抱きつつ、塾の仕事をしています。
『漢書』地理志
『後漢書』東夷列伝
『三国志』魏書 東夷伝倭人条
さて、4月から正木校で授業を担当してきましたが、夏期講習の終了とともに他の校舎へ異動することになりました。
8月最終週からは本巣校、長良校、穂積校に勤務します。
正木校の生徒のみなさん、ありがとうございました。
みなさんのおかげで、毎回の授業が本当に楽しく、塾講師として仕事ができることに幸福を感じてきました。
また会う日を楽しみにしています。