佐藤春夫に読む台湾の近代(林)

【節目の年】
今年は日本がアジア太平洋戦争に敗北してから80年です。
さらに日本が台湾を植民地(殖民地)にした1895年から数えると130年となります。

先日実施された共通テストの「歴史総合,日本史探究」と「歴史総合,世界史探究」でも、近代の日本と中国(清)及び台湾に関係する設問が出題されました。
今日は日本統治下の台湾を考える一助となる小説集を紹介します。

佐藤春夫『台湾小説集 女誡扇綺譚』中公文庫、2020年

【佐藤春夫】
佐藤春夫は1892年、和歌山県に生まれます。
小説のみならず、詩歌、戯曲、評伝、童話にも秀でた多芸多才の文士でした。
また、1915年から3年連続で二科展に入選するほどの画才にも恵まれています。

1910年、永井荷風を慕って慶応義塾大学に入学し、『スバル』『三田文学』に詩や評論を発表しました。
1919年に発表した『田園の憂鬱』が小説家としての声望を高めます。
1935年から芥川賞の初代選考委員を務め、1964年に逝去しました。

【本書の成り立ち】
9篇の作品を収録し、巻末に河野龍也氏の簡要で有益な解説が付いています。
『定本 佐藤春夫全集』(臨川書店、1998~2001年)を底本として独自に編集したと、編集付記に書かれています。
各作品のタイトルと初出年を記しておきましょう。

「女誡扇綺譚」1925年
「鷹爪花」1923年
「蝗の大旅行」1921年
「旅びと」1924年
「霧社」1925年
「殖民地の旅」1932年
「魔鳥」1923年
「奇談」1928年
「かの一夏の記」1936年

河野龍也氏は東京大学文学部・大学院人文社会系研究科の准教授。
日本の近・現代文学を専攻し、佐藤春夫をおもな研究対象としています。

【当時の台湾】
台湾は1895年、日清戦争後の下関条約(馬関条約)によって日本の殖民地とされました。
佐藤春夫が台湾を旅行したのはその25年後、1920年の夏です。
その頃の台湾は、1919年に初の文官総督として田健治郎が台湾総督に就任し、「内地延長主義」のもと、台湾の制度と社会を内地に近づける「同化政策」を展開していました。

【少しだけご紹介】

「女誡扇綺譚」
ミステリー&ホラータッチの作品です。
結末はやるせなさが漂います。

「旅びと」
内地を離れて不如意の生活をかこつ女性に出会います。
その境遇は切なく哀れです。

「霧社」
蕃人の蜂起が伝聞され、慄然とする内地人の様子から、後の霧社事件(1930年)の前兆ともいうべき不穏な空気を読みとることができます。

「殖民地の旅」
阿罩霧の林氏との対話を載せます。
解説によると、民族運動家の林献堂です。
林献堂(1881~1956)は台中の大地主の家に生まれ、実業家として台湾製麻、大東信託、台湾新民報などの社長を歴任するとともに、民族運動の指導者としても活動しました。
総督府の統治に対する林氏の舌鋒は鋭くて理にかなっています。

【本書の価値】
本書は日本の統治下にあった台湾で生活する「蕃人(原住民)」「本島人(漢人)」「内地人(日本人)」の姿が多彩に描かれています。
日本と台湾との歴史的な関係を多層的に理解したい人にとって、本書は高い価値を持っています。

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