仙界の霊獣~漢詩と考古学(林)

今週は中学1年生と2年生が学年末テストに臨んでいます。
2年生の国語では中国文学者の石川忠久氏による『漢詩の風景』も試験範囲に入っています。

【李白の詩】
そこに採録されている漢詩の一つが、
李白(りはく、701~762)の「黄鶴楼送孟浩然之広陵」です。
原文と書き下し、私製の通釈を載せておきます。

故人西辞黄鶴楼
煙花三月下揚州
孤帆遠影碧空尽
唯見長江天際流

故人 西のかた黄鶴楼を辞し
煙花 三月 揚州に下る
孤帆の遠影 碧空に尽き
唯だ見る 長江の天際に流るるを

友は西にある黄鶴楼に別れを告げ
空が霞み花が煙る春三月に、揚州へと下る
ぽつんとひとつ遠くに浮かぶ帆影が、しだいに青空のかなたに消えてゆき
あとにはただ長江が水平線の先まで流れてゆくのが見えるだけである

敬慕する先輩詩人である孟浩然との別れを惜しみ、ひとり残される寂寥感を詠んでいます。

【もう一つの黄鶴楼】
黄鶴楼に残されるという主題は李白だけのものではありません。
同時代の崔顥(さいこう、704?~754)の「黄鶴楼」も見てみましょう。

昔人已乗黄鶴去
此地空余黄鶴楼
黄鶴一去不復返
白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹
芳草萋萋鸚鵡洲
日暮郷関何処是
煙波江上使人愁

昔人 已に黄鶴に乗りて去り
此の地 空しく余す 黄鶴楼
黄鶴ひとたび去って復た返らず
白雲 千載 空しく悠悠
晴川歴歴たり 漢陽の樹
芳草萋萋たり 鸚鵡洲
日暮 郷関 何れの処か是れなる
煙波 江上 人をして愁えしむ

昔の仙人はすでに黄鶴に乗って飛び去り
この地には黄鶴楼だけが空しく取り残されている
黄鶴は飛び去ったきり、もう返ってはこない
ただ白雲だけが、千年後の今も悠然として流れてゆく
晴れわたった川のかなたには漢陽の町の木々がくっきりと見わたせ
香りのよい草花が中洲の鸚鵡洲に青々と生い茂る
夕暮れが迫り、ふるさとはどのあたりかと眺めやると
もやに煙る川べりの景色が私の旅愁をかきたてる

【黄鶴楼の由来】
昔、武昌の町に辛氏(しんし)が酒店を開いていました。
あるとき、酒代を払えない老人が橘の皮で壁に黄色い鶴の絵を書きます。
その鶴が客の歌に合わせて踊るということで店は大いに繁盛し、辛氏は巨万の富を築きました。
その後、老人が再び店を訪れ、笛を吹いて鶴を壁から呼び出します。
老人は鶴の背中に跨がり、白雲に乗って飛び去りました。
辛氏はこれを記念して黄鶴楼を築いたということです。

【伝説の謎を解く鍵】
辛氏の酒店があった武昌は長江の中流域、現在の湖北省武漢市に含まれます。
仙人が黄鶴に乗って白雲とともに飛び去るという伝説は、どうしてこの地に生まれたのでしょう。

謎を解く鍵は鎮墓獣(ちんぼじゅう)がもっています。
鎮墓獣とは悪霊からお墓を守る霊獣です。
画像1をご覧ください。

出典:colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/TG-648?locale=ja#&gid=null&pid=1

これは東京国立博物館が収蔵する唐時代(7~8世紀)の鎮墓獣です。
頭に2本の角が生えていることにご留意ください。

【鎮墓獣の起源】
鎮墓獣は唐時代に大流行しますが、その始まりは戦国時代の楚国(そこく)に求めることができます。
楚国は西周時代(紀元前11世紀末~紀元前8世紀前半)に誕生したと伝えられます。
春秋戦国時代(紀元前8世紀前半~紀元前3世紀後半)には、長江中流域に覇を唱えた大国です。

画像2は中国の故宮博物院が所蔵する楚墓の鎮墓獣です。
湖北省荊州市の江陵藤店1号戦国楚墓から出土しました。

出典:www.dpm.org.cn/collection/lacquerware/228856.html

この鎮墓獣も頭に2本の角が生えています。
楚墓から出土する鎮墓獣の特徴は、大きな鹿の角、長い舌、大きな目玉を持ち、黒い漆で下地を塗り、その上に赤い漆で紋様を描くということです。

【霊鶴の役割】
続いて画像3をご覧ください。
金が象嵌された青銅製の鶴で、頭部に鹿の大きな角をもっている霊鶴です。

出典:『特別展 曾侯乙墓』日本経済新聞社、1992年
これは戦国時代初期に築造された曾侯乙墓(そうこういつぼ)から出土しました。
曾侯乙墓は湖北省随州市曽都区にあります。

この霊鶴を私は二度、実見しています。
1回目は1992年に東京国立博物館で開催された特別展「曾侯乙墓」の際に。
2回目は1999年に湖北省武漢市の湖北省博物館を訪れたときです。

湖北省博物館はこの霊鶴を「青銅鹿角立鶴」と名付け、主人の霊魂を天に導く役割、もしくは神霊の保護を求める役割をもっていると説明しています。
(『湖北省博物館 曾侯乙墓 出土文物陳列』p.9)

同様の鶴は湖北省荊州市の雨台山楚墓(うだいさんそぼ、558基の墓葬群)からも出土しています。
ただし、こちらは鶴の背中に鹿の角がはめ込まれています。

【仙界の霊獣】
楚の貴族墓のあちこちから霊鶴が出土していることから考えると、「黄鶴」が魂(仙人)を天に運ぶ役割を務めるという観念は、少なくとも紀元前5世紀の楚文化に存在したと言えそうです。
「黄鶴楼」で詠じられた伝説は本来、楚墓のなかに存在する霊界(仙界)の霊獣たちの物語だったのではないでしょうか。

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