ニヒリズムを生きる(林)

平野啓一郎さんは現代の小説家のなかで、私が最も注目している作家のひとりです。
平野さんは1975年、愛知県蒲郡市に生まれて、福岡県北九州市で育ちました。
京都大学法学部在学中に『日蝕』で第120回芥川賞を受賞します。

『空白を満たしなさい』
『モーニング』2011年40号~12年39号に掲載
2012年に講談社から単行本
2015年に講談社から文庫本
2022年にはNHKでテレビドラマ化されたそうですが、私は見ていません。

【徹生の死因】
土屋徹生は3年前、ビルの屋上から転落して死亡しました。
死因は「自殺」とされています。

ある日、徹生は生き返ります。
そして、
自分に自殺する理由は一つもない。
自分は絶対に自殺などする人間ではない。

と抗議します。

では、誰が徹生を死に追いやったのでしょう。
鍵を握るのが佐伯という男です。

佐伯は徹生の幸福観を
バブル時代の幸せの何分の一
古風なマイホーム主義の亡霊

とあざ笑います。

1枚のDVDが徹生の死んだ直接的原因を明らかにします。
しかし、徹生はなぜそのような死に方をしたのでしょう。
真相はまだ霧の中です。

【真の理由】
〈分人〉の考え方が真相を解明します。
導きの糸はポーランド人のラドスワフが与えてくれます。
彼は言う、
私たちは、自分の人生を彩るための様々なインク壺を持っています。
丹念にいろんな色を重ねていきます。

ただしこれは示唆にとどまります。

徹生に分人主義的人間観を説くのは、かつて精神科医だった池端です。
〈分人〉については『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書、2012年)に詳しく書かれています。

徹生は、〈分人〉の考え方を通して、自分が死んだ真の理由を理解します。
そして、幸福の手応えを全身で味わう感覚に満たされます。

しかし徹生に新たな脅威が迫ります。
恐怖に抗いつつ、徹生は人間が死後も世界に残せるもの、家族への愛のあり方を考えます。

【神の自殺と神の死】
徹生の死の鍵を握る佐伯は、厭世主義的な人間です。
より正確には、ショーペンハウアー(1788~1860)の言う「ペシミズム」の〈分人〉を持っています。
徹生の死と深く関わる佐伯のような人物がどうして存在するのでしょうか。

手掛かりはラドスワフの言葉にあります。
ラドスワフは火事の際に女性を助けてみずからは焼死し、そして生き返った人物です。
彼は徹生に「神の自殺」を語ります。

それはニーチェ(1844~1900)の「神は死せり」を連想させます。
ここでいう「神」とは、キリスト教の神であると同時に、真善美のイデアをはじめとする超感性的=超自然的=形而上的な最高諸価値の象徴です。

【ニヒリズムとは?】
ニーチェは超感性的な最高の諸価値が感性的世界に価値や意味を与える力を失った状態を「ニヒリズム」と呼びました。
「ニヒリズム」は、プラトン以後のヨーロッパにおける文化形成の全体を規定してきた歴史的運動の呼称です。

輝かしい未来に向けて永遠に進歩し続けていく。
昨日よりも今日、今日よりも明日はもっと幸福になる。

こうした近代の楽観的な世界像を無邪気に信じられる人が、今どれだけいるでしょう。
現代は「夢破れた」時代です。
ニヒリズムに覆いつくされている、それが現代ではないでしょうか。

ラドスワフは
私たちは、無価値な世界で、無価値な生を生きているなどということには到底耐えられません。
と語ります。

しかし佐伯は、まさしく無価値な世界で無価値な生を生きることを強いられた人間です。
現代社会に沈殿する暗い情念から生まれたのが、佐伯を死に導く〈分人〉だったのではないでしょうか。

そうだとすれば、現代に生きる私たちは誰であっても佐伯と同様の〈分人〉を持ってしまう可能性があります。
徹生も佐伯との〈分人〉に苦しみました。
誰もが佐伯や徹生になりかねません。
だからこそ、「足場となる〈分人〉」が重要なのでしょう。

【運命愛】
ニーチェは言います。
ニヒリズムはニヒリズムを徹底することによって克服される。
恒常的な意味などないことを生きる、生きる意味などないことを生きることが一つの意味であるような生き様こそ、自己が意識すべき「運命」にほかならない。
永遠に回帰する「運命」を、「生きるとはこういうことだったか、よし、もう一度」という仕方で意欲し愛する。

ニーチェはこれを「運命愛」と呼びました。

【どう生きるか】
ニーチェの「超人」になることは難しいし、「超人」になれば解決できるかどうかもわかりません。
『空白を満たしなさい』は、ニヒリズム世界での生き方を根底から考えさせてくれる秀逸な小説です。

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