『古都』が描くのは(林)

小学6年生の修学旅行の行き先は奈良と京都だそうです。
それにちなんで、川端康成の『古都』を紹介しましょう。
ただし、あらすじは書きませんから、ご安心ください。

主要な登場人物はつぎの4人です。
千重子は京呉服の織物問屋を営む父母に慈しまれて美しく育ちました。
真一は千重子の幼なじみの大学生で、千重子に思いを寄せています。
秀男は西陣の若き手織機(ておりばた)職人で、腕前は父を凌ぎます。
苗子は幼いころに両親を亡くし、その容貌は千重子に生き写しです。

『古都』は、1961年10月8日から62年1月23日まで、朝日新聞に連載されました。
川端は〈あとがき〉で「私の異常な所産」と述べています。
「眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたような」作品と。

薬が鋭敏すぎる神経を和らげて落ち着かせたのでしょうか。
『古都』は「やさしの小説」です。

「やさし」のひとつめは「易しい」
仰々しい漢語や晦渋な言いまわしの虚飾がなく、どこまでも柔らかくてみずみずしい文体です。

「やさし」のふたつめは「優しい」
京都の四季と折々の行事、それに調和して日を暮らし夜を明かす人々が、繊細で優美な筆致をもって描かれます。

シリアスに切り込んでゆこうと思えば、いくらでもできる要素はちりばめられています。
千重子の出生の秘密
太吉郎の才能の枯渇
家の商いの傾き
家内工業的な織屋の行く末
千重子と苗子と秀男の関係
千重子と真一と竜助の関係
などなど…

しかし、決して無粋に踏み散らしたりはしません。
千重子の流す涙は、はてしなく透きとおり、珠のように美しく光ります。

『徒然草』229段の、
よき細工は、少し鈍き刀を使ふといふ。
妙観が刀はいたく立たず。
を連想させます。

はたして『古都』は小説なのだろうかという思いが脳裏をよぎります。
体裁は間違いなく小説ですが、まるで「洛中洛外図屏風」や「都名所図会」を眺めているかのようです。

小説の主人公は、千重子でも苗子でもなく、京都なのだと考えれば腑に落ちます。
社会と時代の変化から取り残され、滅びつつある古雅な暮らしと街の風情こそが、この小説の主人公ではないでしょうか。
千重子と苗子、佐田家、水木家、大友家の人々は、古き佳き京の風趣に彩りを添える点景として布置されています。

『古都』というタイトルは言い得て妙。
唯一無二の標題です。

(笹巻きずしの瓢正は今年5月末に閉店したと聞きました。)