「惜春」の系譜(林)
前回の末尾に松尾芭蕉の句を引用しました。
再掲しましょう。
行く春を 近江の人と 惜しみける
これは芭蕉の代表句のひとつです。
ただし「春を惜しむ」のは彼の独創ではありません。
今日は「惜春」の詩歌について書くことにします。
なお詩歌の現代語訳は私が作成したものです。
『古今和歌集』
平安時代から江戸時代まで、和歌の正統的規範であり続けたのは『古今和歌集』です。
その第二巻は春歌下であり、末尾に記された数首の歌が惜春の情を詠んでいます。
清原深養父(清少納言の祖父もしくは曾祖父)
花ちれる 水のまにまに とめくれば
山には春も なくなりにけり
山桜の花が散って流れている川をさかのぼって
花を求めてきたところ
山には花もなく 春さえもなくなっていたよ
藤原元方(888~935)
をしめども とどまらなくに 春霞
かへる道にし たちぬと 思へば
春との別れを惜しんだところで
春はとどまってくれはしない
もはや春は霞となって
別れる道にも 立っているのだと思うから
藤原興風(三十六歌仙のひとり)
こゑたえず なけや鶯 ひととせに
ふたたびとだに くべき春かは
声が絶えないように 鳴けよ鶯
一年のうちに 再度は来ることのない
春なのだから
凡河内躬恒(三十六歌仙のひとり)
とどむべき ものとはなしに はかなくも
ちる花ごとに たぐふこころか
引きとめておくことなど できもしないのに
はかなくも 散ってしまう花ごとに
心ひかれて しまうのだ
在原業平(825~880 六歌仙・三十六歌仙のひとり)
ぬれつつぞ しひて折つる 年のうちに
春はいくかも あらじと思へば
雨に濡れながら 藤の花を無理に折り取った
一年のうちに 春はもう幾日も
あるまいと思うから
凡河内躬恒(三十六歌仙のひとり)
けふのみと 春を思はぬ 時だにも
立つことやすき 花のかげかは
今日だけだと 春を思わない 時でさえも
立ち去ることがたやすい 花の下であろうか
まして今日は 春の終わりなのだから
いずれも春の終わりを惜しむ思いを歌にしています。
では、惜春の情は平安歌人が生み出したモティーフでしょうか。
そうではありません。
彼らは中国の文人からこの詩想を学びとりました。
杜牧の「惜春」
杜牧(とぼく、803~852)は晩唐を代表する文人です。
宰相であった杜佑(とゆう、735~812)を祖父にもつ、名門の生まれです。
杜牧は名詩「江南春」で雨に烟る長江下流域の春景色を詠んでいますが、今回紹介するのは春を惜しむ詩です。
「惜春」
花開又花落
時節暗中遷
無計延春日
何能駐少年
小叢初散蝶
高柳即聞蟬
繁艶帰何処
満山啼杜鵑
花が咲いては また花が散り
季節はひっそりと移りゆく
春の日々をのばす方法はなく
若き時をどうして留めておけようか
小さな叢に蝶が飛び立ったばかりなのに
高い柳からはもう蝉の声が聞こえる
たくさんの春の花はどこへ行ったのか
山全体でホトトギスが啼いている
花と蝶は春、蝉とホトトギスは夏を表徴しています。
白居易の「三月三十日題慈恩寺」
白居易(772~864)は中唐を代表する詩人です。
貧しい地方官の家に生まれ、科挙に合格して中央政界で活躍します。
71歳で退官し、75歳の時にみずからの詩文をまとめて『白氏文集』を完成させます。
『白氏文集』は遣唐使によって日本にもたらされ、平安貴族に愛読されました。
白居易は「惜春」をテーマとする詩をいくつも書いています。
今日紹介するのはそのひとつです。
「三月三十日題慈恩寺」
慈恩春色今朝尽
尽日裴回倚寺門
惆悵春帰留不得
紫藤花下漸黄昏
慈恩寺の春も 今日が最後
一日じゅう境内をさまよい 寺門にたたずむ
悲しいことに 過ぎゆく春を留めるすべはなく
紫の花が咲く藤棚の下 日はしだいに暮れてゆく
藤の花
『古今和歌集』のところで在原業平の歌を紹介しました。
その歌の詞書(ことばがき)とともに再度記しましょう。
やよひつごもりの日、雨のふりけるに、
藤の花を をりて人につかはしける
旧暦三月三十日、雨がふったときに、
藤の花を手折って人に贈った歌
ぬれつつぞ しひて折つる 年のうちに
春はいくかも あらじと思へば
雨に濡れながら 藤の花を無理に折り取った
一年のうちに 春はもう幾日も
あるまいと思うから
業平の歌が白居易の詩から着想を得ていることは明らかでしょう。
藤の花に過ぎゆく春を惜しむ思いを詠みこんでいます。
今年の「美濃竹鼻藤まつり」は4月17日から29日と聞きました。

